奥の院の退潮と復活~思想革命・政治革命という全く新しい発想

「金貸しは、国家を相手に金を貸す」さんからの情報です。


 

ハプスブルグが全欧州を支配するにつれて、奥の院は戦争を起こすことができなくなり、商売上がったりで稼げなくなり、追い詰められていった。さらに、産業を対象とする新たな金貸しがどんどん資力を蓄積していったので、奥の院は資力でも劣勢となった。実際、ルネッサンスを主導したのは、奥の院ではなく、新興の産業資本(メディチ家とヘッセン家)である、

しかし、追い詰められた奥の院は、どうしたらハプスブルグ帝国を倒せるかをひたすら追求し、やがて一つの答えに辿り着く。
それが、思想革命・政治革命によってハプスブルグ家を解体するという全く新しい構想である。

<奥の院の退潮と復活>
・1500年代、ルネッサンスを貫く反教会→快美収束の潮流を見て、より強固にバチカンを支配するために、まず教会を堕落させて財政危機に陥った

教会に免罪符を発行させ、それを批判して宗教改革を仕掛けた。次に宗教改革からバチカンを守るという名目でイエズス会を組織し、バチカン支配に成功した。
・この間、奥の院が唯一動けたのは、イエズス会を組織してバチカン支配の体制を固めたことだけ。
・1500~の大航海(ポルトガル→スペイン→イギリス)でも動けず、イエズス会を送り込んで、南米の布教に成功しただけ。
・1600~オランダのヘッセンがイギリスに進出。1690年、英王室を乗っ取り、以降、大航海、インド支配、産業革命を通じて急成長。18世紀、その金庫番となったのがロスチャイルド。
◎要するに、1300年以降、奥の院は、ハプスブルグの支配から身を守ることに精一杯で、その間、どんどん資力を拡大してゆく産業資本に対して資力でも劣勢(れっせい)となり、大航海でも動くことができなかった。
◎その間、奥の院は、ひたすらハプスブルグ帝国をどうすれば倒せるかを追求。その一つが、宗教改革→イエズス会→教会権力による王族支配(観念支配)。
・しかし、バチカンを通じて各王族を観念支配するだけでは、ハプスブルグ帝国を解体することはできない。そこで、産業資本(市民)とルネッサンスの興隆に目をつけて、思想革命→政治革命によってハプスブルグ帝国を解体するという新しい戦略を構想。その実現の為(ため)に近代思想家の育成に注力した(これは、宗教改革を担う思想家の育成の焼き直しとも言える)。
◎つまり、王族の観念支配と市民の観念支配という両面戦略。(王族が勝っても、市民が勝っても儲かる。敗けるのは王族なので、王族に貸した方が儲かるし、支配もできる)

●追い詰められた奥の院は、どうしたらハプスブルグ帝国を倒せるかをひたすら追求した。
その答えが、思想革命・政治革命によってハプスブルグ家を解体するという新しい構想である。

●奥の院は、何をヒントにしてその構想を思いついたのか?
1.法皇>国王で思い知った、統合力としての観念支配の力。
2.ルネッサンスの興隆が示す、反教会⇒快美収束の新しい潮流。
3.ルネッサンスで登場した大量の知識階級と、産業資本の興隆によって登場した大量の商工業者(市民)。

◎ルネッサンスを下敷きにして、キリスト教に代わる新しい思想=近代思想を構築し、知識階級を核にして、商工業者(市民)を巻き込んで政治革命を実現するという、全く新しい発想である。

奥の院はルネッサンスが示す反教会→快美収束の潮流を見て、思想革命・政治革命によってハプスブルグ帝国を解体するという新しい構想を思いついた。
この流れの中で、奥の院の凄いのは、反教会の新しい潮流を見抜いたこと、思想革命を思いついたこと、政治革命を思いついたこと等多々あるが、この新しい発想の核になっているのは、キリスト教が絶対支配する社会の中において、キリスト教に代わる新しい思想が必要になると気づいたこと。

奥の院は、キリスト教に代わる新しい思想=近代思想の構築を、ルネッサンス=文芸復興運動を通じて登場した、学者や芸術家の中の最も優れた者に経済支援してやらせた。

そして、奥の院は、ハプスブルグ帝国を倒すための政治革命を、知識階級を核にして、商工業者を巻き込んで実現した。
この政治革命という発想も、これまでにはなかった全く新しい発想である。