国際情勢の大変動を見抜く!-43~ロンドンの銀行家:ロスチャイルドが戦後処理の大枠を決めていた~

「金貸しは、国家を相手に金を貸す」さんからの情報です。


 

ヤルタ会談

当ブログではすでにおなじみですが、十字軍から始まる争いごとは、全て金貸しが仕切っていた。当然第二次世界大戦も同様で、1814年のファンデルローの戦いから台頭したロスチャイルドのその後の戦争の仕掛け人。

金貸し勢力のスパイの証言(16)~ドイツ原爆は英国チャーチルを通じて米国アイゼンハワーに渡った~でも紹介したように、チャーチル、ルーズベルトは彼らの操り人形。ドイツの原爆をアメリカに横流しした。

当然彼らのシナリオには戦後処理も組み込まれており、それがヤルタ会談前の英米ソの3者会談でチャーチルから示されたロスチャイルドのメモ書き。敗戦国の領土や資産の配分が指示されていた。

これを当時スターリンの元通訳が暴露している。故に巷では有名な話。日本ではほとんど封印されている。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■1945年 ヤルタ会談

◇通説   :チャーチル、ルーズベルト、スターリンが戦後処理を話し合った。

◇歴史の真相:これら三巨頭ではなくロンドンの銀行家が戦後処理の大枠を決めていた。

 

●スターリンの一人勝ちの意味

1945年2月のクリミアのヤルタで開催されたヤルタ会談が特によく知られていますが、1944年から翌年にかけて、イギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領、ソ連の最高指導者スターリンの、いわゆる三国首脳が頻繁に交渉を行います。第二次世界大戦での連合国側の勝利はすでに見えていて、主にその戦後処理についての取り決めをするためにです。

 

戦後処理についての取り決めとはつまり、国境の更新が必要な場合同国境を引き直すか、どの地域・どの資産を連合国側のどの国がとるか、連合国のどの政治勢力がどの地域を納めるかなど、言ってしまえば縄張りを取り決めることです。

 

正統派の歴史観では、ヤルタ会談はスターリンの一人勝ちだった、とされています。事実として第二次世界大戦終結後、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国はソ連に編入され、ポーランドをはじめ東欧諸国も次々と共産化してソ連の衛星国となり、アジアにおいても中国、北朝鮮が共産化されました。

 

後のポツダム会談を含めスターリンの一人勝ちに見えることについて正統派の歴史学者たちは、「秘密主義のスターリンに騙された」「ルーズベルトは病気だった」「ルーズベルトの後継者トルーマンが未熟だった」等と理屈にならない理屈をつけます。考えてみれば簡単にわかることですが、会談に同行したルーズベルトやトルーマンのアメリカ代表団は、国務長官はじめ政府高官レベルの錚々たるメンバーです。イギリスもソ連も同様政府高官が同行していました。このような上体の下では、誰かが一方的に他方をだますなどといったことは考えられません。同行したメンバーが文書のひとつひとつを入念にチェックするわけですから、不利な条件を見逃すはずはないのです。

 

こうした一方的な結果は、騙されたり見逃されたのではなく、どこか「裏」からの指示に従わざるを得ない事情があったと考えるのが常識というものです。現に、ヤルタ会談でルーズベルトに常に付き添って歓談中に耳打ちしたりメモを入れていたのは、ハリー・ホプキンス補佐官と国務省職員のアルジャー・ヒスだったことが明らかになっています。ホプキンスは共産主義者のユダヤ人で、ヒスは後にソ連のスパイとして訴追されました。彼らの耳打ちやメモは誰の指示で行われていたのでしょうか。その裏の支持者は誰かについて、スターリンの通訳者が真相を暴露しています。 

●チャーチルの紙切れ

ワレンチン・M・べレズホフ著・栗山洋児訳『私は、スターリンの通訳だった。―第二次世界大戦秘話―』に、衝撃的な内容が紹介されています。ヤルタ会談の4カ月ほど前、ヒトラー率いるナチスドイツの敗北が濃厚となった1944年の10月に、モスクワでスターリンとチャーチルが会談しました。主な議題は、東方諸国の戦後処理です。ルーズベルトは大統領選挙中のため欠席し、代わりにハリマン中ソ大使がオブザーバーとして出席しました。

 

この会議の席でチャーチルは、胸ポケットから紙切れを取り出してスターリンに示しながら、「詰まらんものですが、私はここに、ロンドンの特定の人間の考えを示す紙切れを持参しています」と説明したというのです。その紙切れには次のように、国名と数字のみが書かれていました。

・ルーマニア ロシア・・・90パーセント その他の国・・・10パーセント

・ギリシャ イギリス(アメリカとともに)・・・90パーセント ロシア・・・10パーセント

・ユーゴスラビア 50パーセント、50パーセント

・ハンガリー 50パーセント、50パーセント

・ブルガリア ロシア・・・75パーセント その他の国・・・25パーセント

 

どの地域・どの資産を連合国側のどの国がとるか、のパーセンテージです。ロシアは当然ソ連のことですが、この時点で極めて有利な数字になっています。この提案についてはその後、両国の間でやりとりがあったわけですが、私が注目するのはチャーチルの「ロンドンの特定の人間の考えを示す紙切れ」という言葉です。

 

「ロンドンの特定の人間」とは果たして誰のことでしょうか。ロンドン・シティの国際金融資本家であり、さらに限定すればロスチャイルド家であり、さらに限定すれば当時のロスチャイルド家投手ヴィクター・ロスチャイルドのことに違いありません。つまり、第二次世界大戦の戦後処理の大枠は、チャーチルやルーズベルトやスターリンなどといった国家の指導者ではなく、ロンドンの国際銀行家が決めていたのです。

 

もっとも、チャーチルの回顧録によれば、この紙切れはチャーチルが書いたと記されていますが、これが正しくないことは世界の最強国アメリカのルーズベルト大統領が不在の会合で、チャーチルが独自に提案できるはずがないことからも明らかです。つまり、ルーズベルトがいなくても物事を決めることができる人物が書いた紙切れであると解釈できるわけです。だから、スターリンもこの紙切れに従って議論することができたのです。

 

因みにスターリンはジョージア(グルジア)人です。ユダヤ人ではないかという説も根強くありますが、私はそうではないと考えています。一国社会主義といったナショナリズムの発想はユダヤ思想になじみません。また、当時、ユダヤ系ロシア人たちがクリミア半島をユダヤ人の自治共和国にする訴えを起こしましたがスターリンは拒否しています。訴えの背景にアメリカの、イスラエルでのユダヤ人国家建設を主張するシオニストの影響を見たから拒否したという意見もありますが、もしスターリンがユダヤ人であればこの訴えを拒否することは通常考えられないことだと思います。

 

スターリンは、朝鮮戦争が始まる1950年くらいまでは、欧米の国際金融資本家の意向をそれなりに考慮に入れて政権運営に当たってきたのです。ヤルタ会談がスターリンの一人勝ちに見えるのはそのためです。