国際情勢の大変動を見抜く!-37~国際連盟は国家に干渉できる権力を持った機関~

「金貸しは、国家を相手に金を貸す」さんからの情報です。


 

 

国際連盟

表題のように国際連盟は国家紛争に関する国家の主権の上に位置し、国家に干渉する権力を有する国際機関として発足したとのこと。いわば金貸し支配のグローバル化⇒世界統一政府の先駆けである。

 

国際連盟の“仕事”は過去から一貫しておなじみの手口。小国分断による対立構造を作り出すこと。

一つは小国が大国の紛争に、対等の立場で、介入できる枠組みを作ったこと。もう一つは、狭い枠組みの「民族自決」を推奨し、特定の政治目的のための衝突を誘発したことです。

 

これによって、国家間で解決できる問題を関係ない周辺諸国を巻き込んで複雑化させたり、「暴力革命」という戦争・紛争に発展するきっかけを与えたりすることになった。

 

誰も異議を唱えることのできない「世界平和」という美辞麗句の元、自国の利害という目先の問題に目を向け、「世界統一政府」という金貸しの大きな野望に気付かれないようにする。これが今日まで100年間に亘って展開されている。

しかし、今後は日本の姿勢を見習い、世界との調和をも目指した本当の意味での民族自決に向かう動きが勢いを増している。この動きが加速すれば、金貸しの野望も崩れ去るに違いない。

 

『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの紹介です。

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■1920年 国際連盟成立

 

◇通説   :ウィルソン米大統領は理想主義のもと国際連盟成立を主導した。

◇歴史の真相:国家に干渉できる権力を持つ機関の出現が国際連盟だった。

 

●集団的安全保障体制への移行

 

1919年1月から第一次世界対戦の戦後処理を話し合う講和会議がパリ郊外のヴェルサイユで開催されました。日本はこの時、イギリス、アメリカ、フランス、イタリアと並ぶ五大国の一国として参加しています。

 

この講和会議で発足が約束され、翌1920年に設立されたのが「国際連盟」です。世界史上初の国際機関ともいうべきものです。ウィルソン米大統領が1918年1月に発表した「十四か条の平和原則」の第14条《国際平和機構の設立》が契機となり、講和会議の重要な議題の一つになって発足しました。ただし、言い出しっぺであるアメリカは、上院の反対で条約を批准できず、国際連盟には参加しませんでした。

 

国際連盟の表の意義は「従来の二国間同盟に基づく安全保障体制が集団的安全保障システムに移行した」ことにあります。「従来の二国間同盟」とはいわゆるバランス・オブ・パワーと呼ばれる考え方で、長年にわたるヨーロッパの政治的知恵であり、「現実主義的」な態度です。

 

これに対して「集団的安全保障」は、全員で全員の安全を保障するという「理想主義的」な態度です。メンバー国が侵略された場合には国際連盟加盟国全員が守る、という安全保障理論に基づきます。現在の国際連合が採用している体制と同じです。

 

しかし、国際連盟の画期的な意義は、実はこれとは別にあります。「加盟各国が国家紛争解決の当事者としての主権の一部を国際連盟に移管する」という点です。つまり、国際連盟は国家に干渉できる権力を持った機関でした。この国際秩序もまた、歴史上はじめて誕生したものです。

 

そして、国家の主権に干渉できる権力を持った機関を作るという発想こそ、国家というものを持たないユダヤ人の思想の現れでした。ウィルソン大統領が国際連盟の発足を熱心に推進した理由がここにあります。

●主権国家の上に置かれた国際機関

 

国際連盟はウィルソン大統領自身の思想、ウィルソン大統領が一人で考えたアイデアでありません。前項でも触れた側近のハウス大佐をはじめとするユダヤ勢力の構想です。ハウス大佐の他にウィルソンの周囲には、バーナード・バルーク、ポール・ウォーバーグといったウォール街のユダヤ人金融資本家がいました。

 

バーナード・バルークこそはウィルソンのキングメーカーであり、選挙運動に多額の献金を行った人物です。大戦中は戦時産業局の責任者を務め、ヴェルサイユでの講和会議ではウィルソン大統領の経済顧問として参加しています。フランクリン・ルーズベルト及びその婦人・エレノアの友人でした。イギリスのチャーチル首相とも友人関係にあり、第二次世界大戦の準備に当たっては緊密に連絡を保っていたことでも知られています。一方、ポール・ウォーバーグはFRBの創設実務にあたった人物であり、自身が初代のFRB議長に就任しています。

 

誰も反対できないであろう「平和」の大義名分のもとに世界は洗脳されました。主権国家というものは、他の「国」というものに主権を侵害されることには強く抵抗しますが、「国際機関」ということになると一般には抵抗感が薄くなるのです。これは、現在の日本人の国連に対する信奉精神の危険性にも通じます。

 

国際連盟はまた、「加盟国は平等である」という原則に基づいて、小国が大国の紛争に、対等の立場で、介入できる枠組みを提供しました。紛争解決に対処する能力がないにもかかわらず口先だけでの介入を許し、国際問題を複雑化したのです。

 

国際連盟の本質は、思想的に国境を撤廃する試みでした。世界平和という錦の御旗に反対する人はどこにもいません。そのような大義名分を掲げることで国家意識や民族意識を捨てさせ、精神的な国際主義者を量産するという魂胆が国際連盟には隠されていました。主権国家の上に国際機関を置き、国際主義によって平和をコントロールする、要するに国際連盟は「世界法廷」の一種と言えるものでした。

 

●国際紛争解決の障害となった民族自決

 

国際連盟の発足を含むウィルソンの「十四か条の平和原則」の第5条「公正な植民地問題の措置」には、枢軸国領土内における民族自決が提言されています。謳われた民族自決は戦勝国である欧米連合国の植民地には適用されませんでしたし、ソ連の構成国へと強制的に編入された中央アジアのイスラム教諸国にも適用されませんでした。

 

民族自決によって誕生した諸国は国際連盟の加盟国になりましたが、これらの国の中から、自国とは関係のない問題に口を挟む国が現れるようになりました。国際連盟が中小国に対して大国と同等の発言権を与えたことは、国際紛争を解決する上での障害となっていったのです。

 

特に満州や支那事変の問題に関して、日本および支那に利害関係のない小国が口先介入することは深刻な事態を生みました。紛争当事国の弱者側に正当な理由もなく味方することは紛争を長引かせるだけの結果しか生みません。現に、支那は味方が増えたことに気を良くして妥協を遅らせました。国際連盟が連盟精神の名のもとで中小国の意見に引きずられ、支那の支持に回ったことが日支間での解決を不可能にしてしまいました。

 

民族自決とは普遍的な価値観を実現したものではなく、特定の政治目的のために誕生した思想です。民族自決をソ連に言わせると民族解放という言葉になりますが、こちらはソ連とコミンテルンが世界同時革命を唱えた「暴力革命思想」です。

 

ウィルソン大統領の民族自決原則とコミンテルンの民族解放戦争が同時期に出現したのは偶然ではなく、連動しています。国際連盟もまた民族自決原則のよって国家の体をなさない小国までも合法的に独立させ、世界情勢を不安定化してしまいました。