平成時代に天皇が示した日韓関係への所見

植草一秀教授からの情報です。


 

平成時代の2001年12月18日、天皇は誕生日に際しての会見で次のように述べた。

「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。

韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。

宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。

こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。

日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。」

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。

武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。

また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。

このことを,私どもは忘れてはならないと思います。」

平成時代に天皇は「韓国とのゆかり」について言及した。

桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに言及したのだ。

日本と朝鮮半島とは歴史的に深いつながりを有している。

天皇の発言にある

「残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした」

というのは何を意味するのか。

この点に関する談話が日本政府から発表されている。

1985年8月15日のことだ。

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)である。

村山首相は談話でこう述べた。

「平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。

私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。

とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。」

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」

これは日本政府が公式に発表した談話であり、現在も継承されているものである。

安倍内閣は韓国敵視政策を推進し、日韓関係を著しく悪化させているが、この8月15日の日に改めて村山談話の原点に立ち返るべきだ。

日本が、「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た事実は、日本政府が公式に認めたものである。

この認識に立って、

「とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考え」たのだ。

日韓関係について、「深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくこと」が重要であることを再認識するべきだ。

しかも、日本と朝鮮半島諸国は歴史的にも民族的にも極めて深い関係を有している。

天皇家の家系について平成時代に天皇が

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」

と述べたことを銘記する必要がある。

大多数の主権者は日韓の友好関係確立を希求している。

この主権者の意思に沿う外交を実現することが安倍内閣に課せられた責務である。