始原の言語日本語 ~日本語は、自然と同化する言語

日本を守るのに右も左もない さんからの情報です。


 

日本人の歴史を考えるとき、歴史時代やさらに縄文時代に遡って論じられますが、さらに遡るため、日本語の起源と構造(特徴)から日本人の民族性を考えた論考を紹介します。

ことばは、民族の価値観、世界観をよく写していると思われますが、日本語はその音韻構造からして、自然や人と一体化・融和するのにふさわしい言語だというのです。

少し間が空きましたが、引き続き「縄文と古代文明を探求しよう!」さんhttp://web.joumon.jp.net/blog/2012/08/001418.htmlから引用です。

今回は、日本語が自然と対話する言語だとする記事を、お馴染み、黒川伊保子さんの著書『日本語はなぜ美しいのか』から紹介したいと思います。

驚くことに、子音語(インド=ヨーロッパ語など)を話す人たちには、虫の音など、日本人が風物詩として大切にする音=自然が語りかけてくる音が聞こえないそうなのです

○自然と対話する母音語人、自然と対峙する子音語人

母音語(日本語など)の使い手は、(人同士だけでなく)自然とも融和する。母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。当然、母音の親密感を、自然音にも感じている。

だから、私たちは、虫の音を歌声のように聞き、木の葉がカサコソいう音に癒しを感じ、サラサラ流れる小川に弾むような喜びを感じる。自然と融和し、対話しながら、私たちは生きてきたのだ。

母音を右脳で聞き流す脳は、自然音もまた聞き流す。彼らの脳に、自然は語りかけてはこない。おそらく、自然は、彼らに対して対峙しているはずである。そうであるならば、闘って支配するというスタンスのとり方しかありえないだろう。統制をとる、というかたちの調和しか思いつかないはずだ。(中略)

私は、以前から「自然保護」「地球を守る」という言い方には、どうも違和感があった。そもそも、地球は、人類が守るほど脆弱なものではない。生物が発生するずっと以前、塩酸溶液の海だった頃から、地球は地球なのである。生物の生存に適した地球を美しいと感じるのは、私たちの側の問題なのだ。

私には、「地球を守る」は、いかにも傲慢に聞こえる。人類が住みやすい地球でいていただく、が正解じゃないだろうか?「地球を守る」のではなく、「地球のご機嫌を損ねずに暮らす」のである。

日本人は、山に神を感じ、海に神を感じて生きてきた。「山を守る」「海を守る」なんていう傲慢な姿勢ではなく、「山のご機嫌を損ねないように」「海のご機嫌を損ねないように」生活していれば、山からも海からの裏切られないことを知っていたのだ。結果、「自然保護」の暮らしだが、気持ちのスタンスは正反対だ。

自然保護などという傲慢な概念を持つ人々には、鯨を敬愛しつつ、泣きながら銛を打ち、だからこそ命を余すところなくいただく・・・・・という日本人の感覚は、理解しにくいはずである。ないと思い込んでいる人たちに、あるということを理解させることは難しい。ないと思い込んでいる人たちが多数派ならば、あるという人たちは、不可解な不穏分子であり、性悪な嘘つきにされてしまう。

少数派にできることは、「腑に落ちないことには、首を縦に振らない」静かな姿勢を示すのみ。子音言語で牛耳られた「合議制のテーブル」なんか、うっかりつかないことだ。

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日本語は自然と同化する言語なのですね

「るいネット」によると、子音言語の人と母音言語の人とでは、母音を処理する脳が違っていて、子音言語を話す人は母音(自然音)が右脳に送られる(情感・意味・意識・などの分析がされない)ので、虫などの自然音は聞こえないようなのです。

自然の声を聞き、自然を敬い、同化してきた日本人は、少しの不調和にも敏感です。その感覚は機械に対しても同様で、日本人の生産技術の質の高さの秘密はここにありました。 同著から2例要約抜粋します。

①ある精密機器の生産管理者の言葉。「光ファイバーの微細なコネクタを接着するとき、日本人は何も言わなくてもど真ん中にくるように接着する。欧米人は有効範囲ギリギリの接着をするので、どうしても耐久性は日本製の方が良くなる。」「欧米人は有効範囲に入っているのに注意される筋合いはない、と気にも留めないが、日本人に聞くと、真ん中が気持ちいいからそうしているというのだ。」

②あるメーカーでは、日本とベルギーにまったく同じ生産ラインを持っているが、不良品の発生率が全然違う。その原因を調査した所、ベルギーでは生産機器のアラームが鳴ってからラインを止めるが、日本ではアラームが鳴る前に微かな異常に気付いてラインを止めるので、トラブルを未然に防ぐことができている。日本の工場ではアラームが鳴ったことがない。

この感覚、特に①の、”一番耐性が良さそうと感じる場所に接着するのが気持ちいい”という感覚は、日本人なら誰しも感じるところですね自然に対しても、機械に対しても同化しようとする感性は、母音を左脳で聴く日本人ならではだったこと、そしてそれが日本人の技術力を支えていたことは驚きです。

さて次回ですが、始原の言語であったはずの、溶け合うような親密感で相手と融合する素晴らしい母音言語が、子音を多様する言語に変化していったのはなぜなのか?そこを解明していきたいと思います。

(以上、「縄文と古代文明を追求しよう」さんからの引用でした。)