ピークオイルに一体何が起きたのか?

2018年12月31日
F. William Engdahl
New Eastern Outlook

 ブッシュ-チェイニー政権初期の頃、無数の論文や、国際エネルギー機関や、様々な政府による公式声明でさえ、ピークオイルと呼ばれるものの開始を宣言していた。前ハリバートンCEO、ディック・チェイニー副大統領が、ホワイトハウスのエネルギー特別委員会を率いるべく指名された時のことだった。2003年3月のイラク戦争準備期間中、世界の石油埋蔵量のピークオイル、あるいは絶対的凋落は、G.W.ブッシュによるイラク侵略のための、正当化でないにせよ、まことしやかな説明に思われた。筆者自身も、当時それで石油戦争を説明することができると納得していた。ところが今日、我々はほとんどピークオイルについて耳にしない。なぜなのかが興味深い。

 ピークオイルは、彼らの石油の極端に高い価格を正当化するための巨大石油企業と、一部金融界連中の発明なのだ。彼らが高価格を正当化するため推進したピークオイル理論は、1950年代、ヒューストン在住の「シェル石油」のハバード・キングという名の奇抜な地質学専門家にさかのぼる。

 鐘形曲線のことなど

 テキサスでシェル石油で働いていた時に、有名になるのを好んでいたマリオン・キング・ハバート、略称キングは、1956年「アメリカ石油協会」の年次会合、現代で科学的でっち上げの最も重大な例の一つになるだろう催しに論文を提出するよう依頼された。

 ハバートは、アメリカが1970年に石油のピークに達するだろうということを含め、彼の1956年の結論を、石油が化石起源で、およそ5億年前の恐竜の残骸や藻や他の生命体起因してを作り出された生体化合物だという証明されていない仮定に基づいていた。ハバートは疑問を抱くことなく、化石理論を受け入れ、彼のこのような主張に不可欠な重要な部分を科学的に証明する明白な試みはしなかった。彼は絶対的真理として、ひたすら「石油は化石に由来する」と断言し、それを巡る新しいイデオロギー、迫り来る石油不足に直面しての緊縮策という新マルサス風イデオロギーを構築し始めた。彼は油田は、ガウス正規分布曲線に従っていると主張したが、それ自身恣意的推測だった。

 イギリスとアメリカの巨大石油企業と、彼らを支援する大手銀行にとって、彼らが世界経済の生命線として石油の有効性と価格を支配するのを可能にするには、不足の神話が必要だった。不足神話は一世紀以上の間、英米地政学権力の重要な要素だった。

 1989年、彼が亡くなる少し前、ハバート・キングは率直なインタビューで、回収可能なアメリカ全体の石油埋蔵量を計算するのに使った方法は到底科学的でなかったことを認めた。吹く風がどれぐらい強いか見るため、指を濡らして、かざすことに例えられるかもしれない。

インタビュアーに、ハバートはこう語っていた。

    そこで必要だったのは、生産可能な究極量の推計を、私が知っているか、あるいは持っている必要があることだった。私は究極的な量を知っており、私ができたのは、非常に狭い不確実性の範囲にその曲線を調整することだった。私はそれをしたのだ。それら曲線が描かれた。曲線を描き、二乗を計算し、もし少し多すぎたら曲線を下げ、あるいは余りにも少な過ぎれば、少し曲線を上げた。だが曲線は、曲線の下の積分面積、所与の時間の総生産量以外には、数学はほとんど使っていない(以下、数学の意味がわからないので翻訳できず、原文のまま。正解をご教示いただければ幸い。それでも大意は通じるのでは?)the integral pd dq by, at times, et, for accumulated production up to a given time。アメリカ石油の究極量で最も良い推計では。当時私自身の推計は、約1500億バレルだった。

 ハバートによる方法論の説明が厳格な科学的方法に聞こえないとすれば、そうでなかったからだ。

 ハバートは、事実上、石油が化石化した生物の残骸から生じるという証明されていない不正確な主張を、石油本来の不足と必然的減少という主張するための根拠に転換したのだ。「この知識は石油とガスの起源に関する抑えの効かない憶測に反対する強力な地質学基礎を我々に提供してくれる。当初の供給量は有限だ。再生の速度は取るに足りない。生成は地球でも、基盤岩石が厚い堆積物で覆われている地域に限定されている。」これが主に大手石油企業が支配するアメリカで教科書が書かれる世界の地質学で受け入れられる常識となれば、それら石油に富んだ地域を、政治的、あるいは必要とあらば、軍事的に支配するという問題になる。

 彼が1956年「有限の」「限定された」供給という切迫する推計をした頃、地球のごく僅かな部分しか石油掘削されていなかった。

 尊敬される石油地質学者でテキサスの石油技術者、マイケル・T・ハルボーティは1980年「ウォールストリート・ジャーナル」にこう書いていた。

    世界中に約600の見込みある石油盆地が存在している。これらのうち、160が商業生産可能で、240が部分的に、あるいは適度に探査されたが、残る200は本質的に探査されていない。掘削されている73パーセントがアメリカだ。それでもアメリカの見込みある石油盆地区域は世界全体のわずか10.7パーセントに過ぎず、大多数の世界の盆地はまだ十分に探査、掘削されていない。

 ハバートは150から2000億バレルのアメリカ全石油埋蔵量という推計に基づき、アメリカの石油生産が1970年代後期にピークに達し、正規分布曲線の加速的凋落が始まると予測した。それは、控え目な言い方をすれば、警鐘的光景だった。同様、偽でもあった。

主要な新石油発見

 私はここで、石油が極端な高温と圧力により、地球のマントル深くで常に生成されていて決して枯渇しないことを経験的に示した1950年代にさかのぼるロシアの科学的実証詳細には触れない。私は著書『Myths, Lies and Oil Wars(神話と嘘と石油戦争)』で詳細に説明した。ここで私はアメリカ地質調査局による最近の公報を引用したいと思う。

 11月28日、アメリカ内務省はアリゾナ州、西テキサス地域で、石油とガスの劇的な巨大な新しい埋蔵の確認を発表した。アメリカ地質調査所(USGS)による査定に従い、アメリカ地質調査局所により、アメリカ内務省は、ウルフキャンプ・ シェール地域と、テキサスとニューメキシコのパーミアン盆地州のデラウェア盆地地域を覆っているボーン・スプリング層が「463億バレルの石油、281兆立方フィートの天然ガスと200億バレルの液体天然ガスの推定平均」を含んでいると発表した。これは非在来型の石油資源で、未発見で、技術的に採掘可能な資源の推計だ。USGS所長ジム・レイリー博士は、地域と呼ばれる「常に発表された我々の最大の連続的な石油とガスの査定」から成り立つ。要するに、それはアメリカのエネルギー供給にとって、重要なニュースだ。

 報告書は、石油・ガス企業が伝統的な垂直の油井技術と横方向の掘削と、水圧抽出の両方をシェールオイルとガスを取り出すために使い、ここで現在石油を生産していると述べている。USGSはウルフキャンプ・ シェール地域とボーン・スプリング層のデラウェア盆地の評価は、中部地方盆地のそれより2倍以上大きいと付け加えている。

 シェールオイルとガスのこの主要な新発見前に、パーミアン盆地周囲のテキサス-アリゾナ地域で、アメリカは、推定シェールオイルを含め、推定で世界最大の原油埋蔵領だった。ノルウェーのコンサルタント、リスタド・エネルギーによる2018年7月の研究によれば、アメリカには2640億バレルの石油があり、その半分以上がシェールにある。その合計は、ロシアの2560億バレルと、サウジアラビアにある2120億バレルを超える。

 もし新しいUSGS推計を含めれば、アメリカ全体の石油埋蔵量は3100億バレルより遥かに多いだろう。1970年のハバート・キングによるアメリカ・ピークオイル予測が、ばかげていたことが分かったのだ。1970年に起きたのは、巨大石油企業が、国内アメリカ油田採掘から離れ、極端に安い中東の石油への移行を操作していたのだ。連中にとって、ピークオイル議論は1970年以降、アメリカの中東政策に強い地政学的影響を与える有用な政治的目くらましだった。テキサスとアリゾナでの新発見が、通常の石油と比べ、シェールオイル埋蔵量の一層速い枯渇が、アメリカ石油生産のより急速な枯渇を意味しないことを保証している。

 アメリカがロシアとサウジアラビア両国を凌ぐ世界最大の石油生産国として今日出現したことは地政学的に極めて重要な意味がある。これはアメリカ大統領がなぜ最近シリアからのアメリカ軍撤退を命令することが可能だと感じたかもを説明すできようる。ここ数年、壮大な地政学的変動が進行中なのだ。

 F. William Engdahlは戦略危険コンサルタントで、講師。彼はプリンストン大学の政治学位を所有している石油と地政学のベストセラー作家。オンライン誌「New Eastern Outlook」独占記事。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2018/12/31/whatever-happened-to-peak-oil/

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 文中にある、マリオン・キング・ハバートインタビューの書き起こしはこちらにある。

https://www.aip.org/history-programs/niels-bohr-library/oral-histories/5031-7

 大相撲、想像通りの展開、世代交代カウント・ダウンが始まったのだろうか?

 大本営広報部の北方領土についての呆導、どの局のものを何時間見ても意味がわからないのではなるまいか。連中全員、属国傀儡政府に忠実に協力して、属国状態の事実を隠蔽している以上、公式説明に無理があるのだ。ウソを聞かされれば、見ている方は混乱するしかない。属国状態の歴史的事実を書いた本を読めば意味は氷解するだろう。大手書店にゆけば、まともな関連書籍が多数並んでいる。

 今日の日刊IWJガイドの該当部分、かなり長いが転載させていただこう。

 【1】北方領土返還に関する日露交渉で失言、失態を重ねる安倍総理と河野外相!歴史の事実にもとづかない外交は国際社会で相手にされない!必携の『戦後史の正体』!!

 安倍晋三総理が4日の年頭記者会見で「北方領土には多数のロシア人が住んでいる。日本に帰属が変わることについて納得していただくことも必要だ」などと述べたことを受け、ロシア外務省は日本政府の態度を批判しています。1月9日、モルグロフ外務次官は、上月豊久駐ロシア大使を呼び出して注意を喚起したと発表しました。

※ロシアが日本に注意喚起 北方領土「帰属の変更発言」(朝日新聞、2019年1月10日)
https://www.asahi.com/articles/ASM1B1QSXM1BUHBI002.html

 北方領土に在住のロシア人に日露交渉の結果を「納得していただく」のは、日本政府の仕事ではありません。北方領土在住であろうとロシア国民は当然ながらロシア政府の管轄下にあり、特定地域のロシア国民への他国からの「働きかけ」は、国家主権にさわります。安倍総理の4日の発言に、ロシアの主権を侵害する意味合いが含まれていたために、ロシア側からの強い抗議につながったのだと思われます。

※安倍首相“暴走発言”にロシア激怒…北方領土交渉打つ手なし(日刊ゲンダイ、2019年1月12日)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/245259/2

 また、第二次世界大戦中の米ソ間の取り決めや対日講和(サンフランシスコ講和条約)をめぐる国際法的解釈や、歴史認識についても、日本政府は不利な立場に立たされています。日本は北方領土を「固有の領土」として返還を求めており、大戦の結果、ロシア領になったとする「ロシアの主張は受け入れられない」(外務省幹部)として、「4島返還」の建前をとってきました。

※北方領土 日本に見解要求へ 露「大戦後、自国領」 あす外相会談(毎日新聞、2019年1月13日)
https://mainichi.jp/articles/20190113/ddm/001/010/119000c?pid=14517

 しかし、そうした日本側の解釈のほうに無理があることが、元外務省国際情報局長の孫崎享氏によって、明確に指摘されています。孫崎氏は『戦後史の正体 1945-2012』(創元社、2012年)(https://amzn.to/2PGk9Ke)で、「北方領土」とは後付けの概念であり、実際は「北海道の一部である歯舞島、色丹島」と「千島列島の南端である国後島、択捉島」に分かれていることを述べ、次のように指摘しています。

 「ルーズベルト大統領はテヘラン会談(1943年11月)でソ連の対日参戦を求め、ヤルタ会談(1945年2月)で『千島列島はソヴィエト連邦に引き渡されること』という内容を含むヤルタ協定を結びました」

 この米ソ間の取り決めは、米大統領がトルーマンに代わった後も引き継がれています。続けて孫崎氏は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約で「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とされている事実と、その意味について説明を加えています。

 孫崎氏は、サンフランシスコ講和条約に調印する直前の吉田茂総理が、「択捉、国後両島」を「千島南部」と認めたことを指摘します。つまり、その前提で日本政府は、講和条約に調印して「千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄」したことがわかります。これが歴史的、国際法的な事実となっているのです。

 孫崎氏が『戦後史の正体』を上梓された際に、日本外国特派員協会(FCCJ)で会見を開いた際の模様は下記URLよりご視聴ください。「我が国の大手新聞・テレビが、私の『戦後史の正体』を無視している」と孫崎氏が外国人記者に訴え、笑いを誘ったシーンは必見です。

※日本外国特派員協会主催 孫崎享氏 記者会見 2012.10.15 (英語)
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/35843

 なお、1956年10月の日ソ共同宣言調印にいたる交渉とその後の北方領土問題について、孫崎氏は『戦後史の正体』で次のように述べています。この内容は鳩山一郎内閣、とりわけ重光葵外相によって進められた「2島返還」路線がなぜ覆ったのか、という問題に関わります。

 「北方領土の北側二島、国後島、択捉島というのは第二次大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償として与えた領土なのです。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉のソ連への引き渡しに反対し、わざと『北方領土問題』を解決できないようにしているのです。日本とソ連のあいだに紛争のタネをのこし、友好関係を作らせないためにです」

 こうした歴史的背景について、岩上さんは同書刊行直後に孫崎氏にインタビューしています。ぜひ下記のURLよりご視聴ください。

※「日本の国益を真剣に考えた人たちがいたことを伝えたかった」アメリカとの隷属関係を断ち切ろうと奔走した政治家とは? ~岩上安身による孫崎享氏インタビュー 2012.8.23
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/27537#idx-3

 このように、北方領土問題は米国の関与抜きに語れないのです。しかも、「ヤルタ協定」での取り決めのみならず、米ソ両軍の共同作戦があったことも、『戦後史の正体』刊行後に判明しました。北方4島占領のための軍事作戦において、米国艦隊が投入されていたのです。このことは、2015年から続く根室振興局北方領土対策課の「北方領土遺産発掘・継承事業」を通じて、2017年に明らかにされました。

 サンフランシスコ講和条約に調印した吉田総理は、この共同作戦を知っていたかどうかわかりませんが、この事実の上に「千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄」したということになります。

※高橋浩祐(国際ジャーナリスト)「実はアメリカが軍事支援したソ連の北方4島占領 米ソの極秘作戦プロジェクト・フラはなぜ、長い間知られなかったのか?」(Web Ronza、2018年12月16日)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018121100006.html?page=3

 以上見てきたように、「4島返還」の建前と、「北海道の一部である歯舞島、色丹島」しか返還され得ないという矛盾を、日本政府は抱えています。安倍政権は国内の支持者向けには「4島返還」を諦めたことを明言できない一方で、ロシアに対して歴史的、国際法的な事実に反するような発言をすれば、冒頭のようにロシアからの強い抗議に遭ってしまうのです。根本的には米国の言いなりになって「4島返還」の看板を掲げ続けてしまったわけですが、その原因となった米国の干渉を日本政府が自ら明らかにしない限り、この矛盾を解消することはできません。

 そんななか、日露交渉に関する記者の質問に対して「次の質問どうぞ」を連発した河野太郎外相は、14日の日露外相会談後の共同記者会見の開催を拒否しました。「平和条約問題で情報の不安定な状況を作り出して人々を惑わす一方、協議の結果を記者会見で伝える意思はない」という日本政府の姿勢について、ロシア側は「奇妙で矛盾した行動だ」と批判しました。

※ロシア「日本が共同会見を拒否」 外相会談を前に批判(朝日新聞、2019年1月14日)
https://www.asahi.com/articles/ASM1G0S5YM1FUHBI01G.html

 昨日の日露外相会談については、やはり共同記者会見が行われたという報道はなく、会談内容は明かされていません。ただ、21日に予定されている安倍総理とプーチン大統領との会談を控え、北方領土問題交渉に米国がどのように関係していくのかが注目されます。追って、国内外の報道や外務省の発表を確認し、続報していきます。

※Peace treaty with Russia ? Japan’s gift to U.S.?(CGTN、2019年1月14日)
https://news.cgtn.com/news/3d3d774d7941444d32457a6333566d54/share_p.html

※河野外務大臣のロシア訪問(平成31年1月12日~16日)(外務省ホームページ)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/rss/hoppo/page25_001780.html