1940年9月27日 日独伊三国同盟の締結

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蒋介石、宋美齢とスティルウェル(Gen. Joseph W. Stilwell)将軍

蒋介石による日英分断、また日米分断工作により、1940年9月27日、日独伊三国同盟が締結され、日本とアメリカとの対立は決定的なものとなり、この情報を得た蒋介石は、日本に勝ったと確信したと言っています。

蒋介石は英語が出来ませんでしたが、妻の宋美齢がアメリカで教育を受けていたので、流暢な英語で彼女がアメリカで反日プロパガンダを行いました。  当時、大多数のアメリカ国民が戦争参戦に反対していましたが、これにより対日参戦のムードがつくられ、ヨーロッパではイギリスのチャーチル首相がドイツと厳しい戦いを行っていたので、フリーメーソン人脈のチャーチルー蒋介石(+宋美齢)ールーズベルトのラインで、アメリカの世論を参戦に持ち込んだわけです。

第二次世界大戦に引きずり込まれる日本
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1188.html


当時、アメリカは日中戦争の軍需景気に沸き、アメリカ企業は日本に物資を送り続け、日本は戦争に必要な鉄や石油、天然ゴムはほとんどアメリカから買っていました。

しかしながら、宋美齢に同情したアメリカの世論は、日本に軍事物資を供給するのを止めろと声を上げ、アメリカ政府は世論に負け日本への鉄・生ゴムなどの物資の輸出を停止する経済政策を実施することになります。

アメリカで、残虐な日本というプロパガンダを宋美齢にされてしまったわけですが、呆れて物が言えないのは日本の方で、一般人が中国から大虐殺(通州事件)を受けたのは日本側であり、

南京大虐殺なる言葉をつくったのは、戦後の朝日新聞で、南京大虐殺記念館を作るを嫌がった中国に2度もお願いして、建立を頼み込み、建設資金まで提供したのは、社会党の田辺書記長なのであります。  これは全て事実です。

中国政府と、戦争に負けたら戦勝国側に尻尾を振る日本のアホサヨに、謝ってもらわねばならないのは、日本の方なのです。

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