1938年3月13日 オーストリア消滅

1938年(昭和13年)3月13日、オーストリア国民を裏切りナチスの傀儡である、ザイス・インクヴァルトはウィーンに迎えたヒトラーの目の前でオーストリアを新たなドイツの州、オストマルク州とする法案「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関す法律」を起草して署名を行いました。

ここに、中世ヨーロッパを500年に渡り支配したハプスブルグ帝国の栄光あるオーストリアはドイツに併合され、消滅。  そして、ザイスはオストマルク州総督 (Reichsstatthalter) に就任する事になります。


このオーストリア消滅に伴い、1938年の秋頃から、多くのドイツ・オーストリア系ユダヤ人が、イタリア商船コンテ・ビオレ号で、上海にやってきました。

これは、唯一、日本政府がユダヤ人を人道的立場から保護したためで、上海の共同租界、日本海軍の警備する虹口(ホンキュー)地区に、1939年夏頃までに約2万人のユダヤ難民が来ています。

日本政府の有田外相は、ハルビンのユダヤ人指導者アブラハム・カウフマン博士を東京に呼び、「日本政府は今後ともユダヤ人を差別しない。他の外国人と同じに自由だ」と明言。

そして、海軍大佐の犬塚惟重(いぬづか これしげ)は、日本人学校校舎をユダヤ難民の宿舎にあてるなど、ユダヤ人の保護に奔走しました。

日本人ほど優しい心を持ち、人種差別を憎み、撤廃するよう戦った国はないのです。

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