1937年7月29日 通州事件

支那共産党(中国共産党)により、盧溝橋事件がおき、日本軍と蒋介石率いる国民党軍の間で衝突が起こり、これが日中戦争(=支那事変=日華事変)に発展してゆきますが、日本側はもともと戦線不拡大方針を表明しており、国民党軍との間に停戦協定が結ばれました。

しかしながら、1937年(昭和12年)7月29日に、支那(中国)はこれを裏切り、たまたま主力が町を離れ、僅か110名の留守部隊しか駐屯していなかった日本軍の守備隊に対し、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。

日本軍守備隊は全滅し、あろうことか、支那保安隊は、日本人居留民に襲い掛かり、ありとあらゆる略奪・暴行を働きました。  日本人女性は暴行された上、局部にほうきを突き刺され、喫茶店の女子店員の生首がテーブルの上に並べられ、子供達は両手両足を切断、男性にはありとあらゆる暴行が加えられ、挙句の果ては、子供の鼻に針金を通し、何人もつないで見たり、腹から腸を出されたりと、国際的常識感覚からもありえない残虐な行為で、国際問題となり、

1937年12月24日、冀東政府(冀東防共自治政府)と日本側との間で交渉が成立、冀東政府は日本側に正式陳謝の上、120万円の賠償金を支払い、事件は解決しましたが、

このような事件の背景の下、「帝國臣民ヲ保護スヘシ」として、上海租界の日本人居留民「保護」を任務としていた海軍陸戦隊は、遂に陸軍に対して派兵を要請し、8月15日、蒋介石が「対日抗戦総動員令」を発令した同日、日本海軍機が南京を空爆し、遂に8年もの長期に及ぶ全面戦争、日中戦争(=支那事変=日華事変)へと発展していったのです。

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