1937年7日7日 支那事変

ナチスドイツがオーストリアを併合し、ドイツ全土でユダヤ人迫害・虐殺が行われたのが1938年ですが、その1年前の1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件が起こり、日中戦争(支那事変)に突入してゆきます。

お馬鹿な左翼主義者達は、「 日本が仕掛けた戦略戦争 」 と、戦勝国側のプロパガンダに簡単に乗せられていますが、最初に銃撃されたのは日本側であります。

それでは蒋介石がひきいる国民党が仕掛けたのかといえば、それも間違いで、事件当時、国民党軍も日本軍同様に銃撃を受けており、国民党軍と日本軍ともに相手側が仕掛けてきたと思い、交戦状態に突入していきました。

実は、これを仕掛けたのは、コミンテルン(1913年モスクワで結成された共産主義の国際組織)
から命令を受けた中国共産党軍の工作員が夜陰に乗じて、廬溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。

その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、

「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」

とはっきりと記述されていますし、1949年(昭和24年)10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、

「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」

と発言しており、中国共産党の責任者自らが 「 自白 」 しているのですから、これ以上の証拠はありません。


当時、国民党に対して劣勢だった共産党は、「起死回生」を図る為、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させ、「漁夫の利」(つまりは、中国全土の支配権)を得ようと考え、

結果的に狙いは的中し、日本はその後、8年間の長期にわたって、広大な中国大陸を舞台に「日中戦争」を戦わされる事になりました。  更に、その後、共産党は国共内戦で国民党に勝利し、遂に中国全土の支配権を獲得し、1949年10月1日に 「 中華人民共和国 」 を建国したのです。

その証拠に、1937年7月8日(盧溝橋事件の翌日)に、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けており、まるで盧溝橋事件を予測していたかの如く、タイミングが良すぎる事からも、彼らの関与があった事は明白です。

まあ、それより何も、自分で言っているのですから間違いはありませんが・・・。

オツムの弱い村山君や菅君が 「 日中戦争の発端となった盧溝橋事件に関して、日本は反省し・お詫びしなければならない 」 と、卑怯にも戦勝国側に尻尾を振っておりますが、正しい歴史認識をしてもらうならば、日本側がお詫びしてもらわなければならないのです。

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