1815年 ワーテルローの戦い

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ネイサン・マイヤー・ロスチャイルド( Nathan Mayer Rothschild : 1777 – 1836 )

1815年エルバ島を脱出し、パリに戻って復位したナポレオンですが、連合国に講和を提案しますが拒否され、結局戦争に突き進む事になりました。  緒戦では勝利したものの、イギリス・プロイセンの連合軍にワ-テルローの戦いに完敗し、ナポレオンの復位は百日天下に終わる事となります。  彼の処遇を巡っては、イギリス政府はウェリントン公の提案どおり、ナポレオンは南大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉され、そこで生涯を閉じる事になります。

ナポレオン・ボナパルト 享年51歳


このワーテルローの戦いでも、ロスチャイルドはナポレオンを利用し、しゃぶりつくし、ロスチャイルドの歴史に残る金儲けをしています。

パリに戻ったナポレオンは、必ずしも弱くはなく、ヨーロッパの人々の多くも、ウェリントン将軍とナポレオンのどちらが勝つか、見守っていました。

しかしながら、既にロスチャイルド一族に見放され、敵に回してしまったナポレオンは、数々の工作活動を仕掛けられる事になります。

ナポレオンの知友ながら、ロスチャイルド家から裏金を受け取っていたスルト元帥に裏切られたのです。  彼はナポレオンのおかげで、数百万フランの給金付のダルマティア公の地位を得たばかりか、元帥にも任じられましたが、ワーテルローの戦いでは、ナポレオンの軍勢の側面を固める要所、ジュナッペの村を確保できず、さらに悪い事には、期待されたグルージー元帥の援軍も、その銃声が聞こえ、加勢されていることもナポレオンには分かっていましたが、いかんせん24時間もの遅きに失しました。

スルト元帥について、ナポレオンは苦々しく語っています。

「 ワーテルローでの副司令官は期待していたほど、私の助けとはならなかった。  ・・・ 彼の部下は、私が命じておいたにも関わらず、組織として機能しなかった。  スルトはあ っさり士気を失い・・・何の役にも立たなかった。  あの戦いのとき、ジュナッペで彼は なぜ戦線を保てなかったのか? 」

ワーテルローで、もしナポレオンが勝てば、イギリスの命運は風前の灯となり、その国債は暴落し、紙切れ同然となります。  反対に、ウェリントン将軍が勝てば、イギリス国債は暴騰します。

イギリス中が、天下分け目の戦いの行方を凝視していたとき、ロスチャイルド家の情報網がいち早くナポレオンの敗北を伝えました。

1815年6月19日夜遅く、オステンド(現ベルギー)からウェリントンの勝利を伝えるため、船に飛び乗った使いの者を、20日未明、ドーバー海峡に出迎えたネイサンは、ただちにウェリントン将軍の飛脚よりはるかに早く、ロンドンの証券取引所に向かいます。

取引所に姿を現したネイサンは、しかし買いには走らず、逆にイギリス国債を売ってでました。  その前のキャトルブラの戦いで、イギリスが負けたという情報で、既に下落していた公債市場は、ネイサンが売りに出たのを見て、「 ウェリントンは敗れた 」 と受け止め、パニックとなり、相場は暴落に暴落を続けました。

そして、ワーテルローでウェリントン将軍の勝利のニュースが、まさに広まろうとするとき、ネイサンは今度は2束3文になった公債の買いに転じます。

この賭けで、ネイサンは天文学的な数字の儲けを手にし、これが後のロスチャイルド財閥の基盤となりました。

イギリス英語で、「 何でそんな秘密の事を知っているの 」と聞かれたれた時、” A little bird told me (ちょっと小耳にはさんだもので)” という言い回しがありますが、これはこのワーテルローの戦いで、伝書鳩が果たした役割からできたものであります。

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