1914年7月28日 第一次世界大戦勃発

出来事
1914年6月28日ボスニアの首都サラエボで、オーストリアのフランツ・フェルディナント皇太子とその妃ゾフィーがセルビアの青年に暗殺される
1914年7月28日

開戦
1914年7月30日ロシアが総動員令を発令
1914年8月8日イギリスが、ドイツ領東アフリカの攻撃を開始。イギリスの3C政策の拠点であるエジプトの確保に乗り出す。
1914年9月19日イギリスが、ドイツ領南西アフリカに上陸。ほぼ同時に、南アフリカ連邦がイギリス派遣軍の派遣を決定
1914年11月22日イギリスが、ペルシャからの石油パイプを保護するためにバスラを占拠
1914年12月18日イギリスが3C拠点エジプトを保護国にすると宣言し、実質的に植民地とする。これで、スエズ運河をフランスと共有しながら、さらに領土も自由にできるようになった
1915年2月3日トルコがスエズ運河を攻撃し、反撃に転ずる
1915年4月26日イギリス・フランス・ロシアがイタリアに対し、アフリカの植民地拡張を約束
1916年4月26日イギリス・フランス・ロシアが、アジアとトルコの分割秘密協定に調印
1916年5月9日イギリスとフランスがサイクス・ピコ秘密協定を調印し、アジアとトルコの分割案とアラビアでの勢力範囲を定める(ロシアが承認し、のちにイタリアも参加)
1917年11月2日イギリス外相バルフォア宣言により、ユダヤ人国家をパレスチナに建設する考えを打ち出す
1918年11月11日終戦----4年4ヶ月にわたる死者1千万人の戦争が幕を閉じ、オーストリア皇帝ハプスブルク王朝滅亡す
1920年国際連盟の設立

 

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オーストリア皇太子を暗殺したセルビア人青年が捕らえられた瞬間

1914年(大正3年)6月28日に、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃され、このテロ事件の大反逆罪裁判がサラエボで行われたとき、裁判で暗殺者一味のカプリノヴィッチと、その手助けをしたガブリロ・プリンチップは、自らフリーメーソンであることを告白し、この暗殺計画はセルビアのメーソン・ロッジ 「 ナロドナ・オドゥプラナ(人民防衛軍) 」 で計画されたものである事を自白しました。


日本の徳川時代初期に、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国とカトリックに支配されていたヨーロッパは、30年戦争(1618-1648年)と呼ばれる、カトリックvsプロテスタントの宗教戦争が勃発しました。

この戦場となったのが、北ドイツとボヘミア地方で、長期にわたる戦争により、ドイツの国土は荒廃し、他のヨーロッパ諸国に対して、ドイツの発展は約200年遅れたと言われています。

この戦争の結果は、カトリックのハプスブルグ家の神聖ローマ帝国の敗北となり、1648年のウェストファリア条約によって終結を見ましたが、神聖ローマ帝国は分割され、約300に及ぶ領邦国家の分立状態となり、その分割国家でプロテスタント信仰も認めさされることになりました。

この戦争を機に、ハプスブルグ家は衰退し、ヨーロッパの覇権はオーストリアから、フランスのルイ14世が握るようになり、さらにアメリカ植民地戦争では、フランスと戦って勝利したイギリスがヴィクトリア大英帝国の繁栄を謳歌していました。

江戸時代の後期になると、遅咲きの大輪ドイツが、次々と科学技術の重要発明をなし、イギリスを脅かす存在となってきました。  なかでも大きいのは、従来の水蒸気から、ガソリンやディーゼルで動く小型でパワーのあるエンジンの開発、すなわちガソリン車をはじめて開発したベンツさん、またディーゼル車を開発したディーゼルさん。 また、世界ではじめて通信機やダイナモ(発電機)を開発したシーメンス。  このダイナモの発明により、今日の電力会社があるのです。

そして、急発展するドイツは、イギリスの勢力が及んでいるところにも、自分の勢力をおし広げようとし、あちこちで激しく衝突を繰り返しました。

この頃、日露戦争の勝利で、日本は朝鮮半島と満州(中国東北部)の権益を得ることになり、一方のロシアは敗北をきっかけに極東での南下政策を断念し、進出の矛先を再びバルカン半島に定めましたが、

これがドイツやオーストリアとの対立を招き、イギリスは仮想敵国をロシアからドイツに切り替え、ドイツはそんなイギリスに敵対意識を抱き、世界情勢は 「イギリス・フランス・ロシア」 の三国協商と 「ドイツ・オーストリア・イタリア」 の三国同盟の対立へと向かう事になります。

フリーメーソン-69  日露戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/662.html
フリーメーソン-70  ジェイコブ・シフ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/663.html
フリーメーソン-71  日韓併合
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/664.html

バルカン半島にはスラブ民族とゲルマン民族が入り乱れ、民族同士での衝突がありましたが、民族間の対立に加えてロシアとドイツの対立が絡み、ロシアはスラブ民族と、ドイツはゲルマン民族と結びつき、お互いにバルカン半島での勢力を伸ばそうとして、一触即発の状況にありました。

このような状況下で、スラブ民族のセルビア青年が、オーストリア皇太子を暗殺したことで、オーストリアはセルビアに戦争を仕掛け、セルビアと同盟関係にあったロシアと、オーストリアと同盟のあったドイツの間でも戦争が始まり、さらにイギリスやイタリアも加わり、ヨーロッパはあっという間に大戦の渦に巻き込まれました。

さらに、トルコ、ブルガリア、日本、アメリカをも巻きこみ、世界に拡大していった戦争が、第一次世界大戦であります。  この戦争は、1918年にドイツの降伏により終結することとなりました。

話を、オーストリア皇太子を暗殺した、フリーメーソンのセルビア人青年に戻すと、暗殺は、セルビアのメーソン・ロッジ 「 ナロドナ・オドゥプラナ(人民防衛軍) 」 で計画されたことを自白しましたが、セルビアのフリーメーソン・ロッジとはどのようなものか説明しておきます。

セルビアのロッジは少し特別で、ハンガリーから  「 ブロブラティム (親睦の意味)」 という、母ロッジがあり、のちに33階級をもつ 「 スコットランド・システムの最高評議会 」 に昇格し、様々な下部ロッジを設立した、巨大なロッジであります。

また、セルビアには、フランスの 「 グラントリアン(大東社) 」 のロッジも設立されていました。

フリーメーソン-9  グラントリアン(大東社)
http://diary.jp.aol.com/renaissancejapan/599.html#readmore

サラエボ事件を首謀した 「 ナロドナ・オドゥプラナ(人民防衛軍) 」 は、この両方に属していました。

また、オーストリア皇太子の暗殺計画は、2年前の1912年から計画されていたらしく、パリにあるフランス最大のロッジ 「 グラントリアン(大東社) 」 の資料には、こう書かれていました。

「 大公は、王位につく前に、死を迎える”有罪判決”を受けた 」

話が長くなりすぎるので、ここでは書きませんが、ヨーロッパの歴史を考えるとき、いつも、 カトリック vs プロテスタント、フリーメーソン、ユダヤ人 という構造が存在することを忘れてはなりません。

フランス革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦を見ても、まるで カトリック vs ユダヤであり、ヨーロッパを支配していたカトリックキリスト教が、フリーメーソンやユダヤ人によって、切り崩されているのが分かります。

何故なら、ユダヤ人迫害は、カトリック総本山のバチカンによって行われてきた歴史があるからです。  第二次世界大戦でも、バチカンは公にナチスを応援していたのです。

「 神の子イエスを裏切り、十字架にかけたユダ ! 」

ヴァチカン市国
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キリスト教の勝利
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/468.html
日曜日が休日となった理由
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/467.html
反ユダヤ思想
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/469.html
ユダヤ人と金融
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/169.html
ローマ教皇とナチス
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そして、第一次世界大戦が終わってみると、バチカンをもつイタリアは敗北、神聖ローマ帝国として中世ヨーロッパを500年間に渡り支配したカトリック王国のオーストリアのハプスブルグ家は崩壊することになりました。

ドイツは、プロテスタントのイメージが強いですが、北にいけばプロテスタントが圧倒的に多くなりますが、シーメンスやベンツ、BMWの本社がある南ドイツのバイエルン地方はカトリックの勢力範囲です。

そして、ロシア正教でコテコテのキリスト教国家で、ユダヤ人を迫害していたロシアは、第一次世界大戦中にロシア革命が起こり、新政権ではメンバー99%をユダヤ人が占め、ロシアにあった約90%のロシア正教のキリスト教会は、新政権により破壊されました。

これは、共産主義が宗教を否定している為ですが、シナゴーク(ユダヤ教会)は何故か無傷でありました。

フリーメーソン-76  ロシア革命
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/669.html
フリーメーソン-7  イルミナティ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/597.html

そして、フリーメーソンの黒い教皇と呼ばれ、「 KKK 」の創始者でもある、アルバート・パイクの預言どおり、第一次世界大戦とロシア革命は起こりました。

「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。 そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」

フリーメーソン-8  3つの世界大戦
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/598.html

 


死の商人  バジル・ザハロフ
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Basil Zaharoff (1849-1936)

ヨーロッパで 「謎の男」 と呼ばれた、ロシア生まれのユダヤ人、バジル・ザハロフは第一次世界大戦を引き起こした人物とされています。 コンスタンチノーブルで6歳の時から売春宿のポン引きをはじめ、強盗殺人を働きアテネに逃げ、アテネで武器商人となり、億万長者になりました。  人物像としては、三菱の創始者である岩崎弥太郎とイメージが重なります。

フリーメーソン-73 三井・三菱の阿片ビジネス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/666.html
フリーメーソン-58 坂本龍馬暗殺 ~真犯人~
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/650.html


1890年当時、世界最大の軍需会社であったイギリスの 「ヴィッカース社」 は、1897年に買収した企業の大株主であったザハロフは、 「ヴィッカース社」 の役員を務めることになりました。

ちなみに、日露戦争で活躍した 「戦艦三笠」 は、ヴィッカース社製であります。

ご存知の通り、第一次世界大戦は、飛行機・戦車・毒ガスなど、いわゆる大量殺戮の 「 近代兵器 」 が本格的に実戦配備された初の戦争として知られています。

そして、これらの兵器製造は国営会社ではなく、民間企業であるため、敵味方に商売のために兵器を売りさばく 「 死の商人 」 が活躍し、罪のない一般人やその子供たちが手足を失ったり、猛火の中で焼け死んでゆく中、金と女を使って政治家に取り込み、国民の命と税金をしゃぶりつくし、自分の財産を増やしてゆきました。

1912年、当時のイギリス首相であるロイド・ジョージと蔵相ルーファス・アイザックスは、ユダヤ一族のイギリス郵便局長サミュエルから10万株の賄賂を贈られ、発覚してもロスチャイルドが事件を闇に葬り、またロスチャイルド家と懇意のザハロフは、首相ロイド・ジョージに自分の妻を接近させて不倫問題を仕かけ、イギリス政府はロスチャイルドとザハロフによってがんじがらめにされていたのです。

当時、ヨーロッパ主要各国を金融支配していたロスチャイルドは、政府に融資協力する条件として、貸付金の半分を武器調達費用に当てさせ、各国は借金の肩代わりに、大量の武器を背負い込み、従来の戦争に比べて必要以上に武器・弾薬が消費されたのが第一次世界大戦です。

ユダヤ人と金融
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/169.html
フリーメーソン-77  第一次世界大戦
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/670.html

皆さんの中には、武器を大量に背負い込まされたのと、戦争の勃発は無関係だと主張する方もおられると思いますが、ある平和な中学校の廊下に、大量のナイフがばら撒かれていたらどうなるか想像してみてください、傷害事件が起こるのは明らかです。

江戸後期である、1880年代のはじめ、アメリカ人のハイラム・マキシムが優れた銃を発明し、ヨーロッパにもその画期的な銃を売り込みを始めました。

当時、ヨーロッパは中東にかけて、6つの帝国が君臨し、勢力を争っていましたが、その帝国とは、大英帝国、フランス帝国、プロシャ帝国(ドイツ)、ロマノフ王朝の帝国ロシア、ハプスブルグ家のオーストリア=ハンガリー帝国、そしてオスマントルコ帝国です。
マキシムは、ハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフ皇帝の見守る中、マキシム銃のデモンストレーションを行い、その性能には驚嘆の声が洩れるほどでした。  それをじっと見つめていたのが、ザハロフですが、この天下の詐欺師男は記者団に、この銃の成功を自分の事のように誇り、これはマキシム銃ではないとまで言い切ってのけました。

こうして、マキシムは注文が全く入らなくなり、販売に関してザハロフと組まざるを得なくなりました。 これは最初からザハロフが仕組んでいた作戦だったのです。

マキシムは、1884年に待望の機関銃を完成し、その4年後にはザハロフのとりなしで、造船・兵器会社ノルデンフェルドと、さらに続いて13年後の1897年にヴィッカース社による買収で合併し、ヴィッカース社は、クルップ(ドイツ)、シュネーデル(フランス)、アームストロング(イギリス)の3巨人に続く、第4の兵器会社に成長してゆきました。

そうして、第一次世界大戦前は、火薬はノーベル社が、兵器はクルップ(ドイツ)、シュネーデル(フランス)、アームストロング(イギリス)、ヴィッカース(イギリス)、スコダ(チェコ)、プティロフ(ロシア)が敵味方に売りさばき、バルカン半島は軍事的緊張の極限に達ししていたのです。

また、イギリスのヴィッカースが、敵国ドイツのクルップから砲弾を購入したり、マキシムの精密技術がドイツのクルップやフランスのシュネーデルに流れたりと、戦争の最前線で戦っている兵士たちには想像もできないような事を、政治家たちや武器商人たちは行っていたのです。

それを裏から糸を引いていたのが、ザハロフとロスチャイルドであったのです。

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