1864年10月20日 日本人初のフリーメーソンの誕生

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西周 (1829-1897) 明治初期の啓蒙家

西周(にしあまね)と津田真道は、共に江戸幕府の洋学教育機関であった、蕃書調所(後の開成所、さらに東京大学文学部と理学部になる)に勤務する蘭学者でありました。

1862年、徳川慶喜の政治顧問の西周(にしあまね)は、津田真道、榎本武揚らとともに、幕府の指示により、西洋の政治・法律・経済を研究するためにオランダのライデン大学に留学します。  その指導教官がライデンの「ラ・ヴェルテュ・ロッジ・ナンバー7」に属するフリーメーソンで、

1864年10月20日、彼は指導生であった西周をこのロッジに紹介し、その日に35歳の西周は、「徒弟」「職人」として、フリーメーソンになる事を承認され、日本人では初めてのフリーメーソンとなりました。  津田真道も、1ケ月後にフリーメーソンとなっている事が記録に残されています。


西周と津田真道は帰国後ともに、開成所の教授となり、明治政府による近代化政策に協力しています。

西周は、フィセリングの講義を訳した 「万国公報」を出版したほか、日本最初の哲学書である「百一新論」をはじめとする多くの書において、西洋の抽象概念である、哲学・主観・客観・理性・帰納・芸術・文学・心理・科学・技術・権利・義務など、次々と翻訳語を創案し、紹介しています。

特に、フリーメーソンの重要な概念である「理性」と言う言葉が、日本人最初のフリーメーソンである西周により考案され、訳されている事は、興味深いところです。

津田真道は、フィセリングの「泰西国法論」を翻訳・出版したほか、元老院議官・衆議院副議長も務めています。

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