740年 世界史のタブーである 東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と 白人系ユダヤ人のルーツ

世界史のタブーである
東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と
白人系ユダヤ人のルーツ

 

●なぜか不思議なことに、「ユダヤ人」という語の定義は、学問的にも政治的にも非常にあいまいな状態に置かれている。

このテーマを取り上げると必ず、「ユダヤ人という民族はそもそも存在しないのだ」とか「ユダヤ人は人種ではなく、ユダヤ教に改宗した者がユダヤ人になるのである」という主張が一般の研究者の間から出て来る。彼らはそれを主張してやまない。

●ユダヤ人国家イスラエル共和国においてはどうかというと、移民に関する法律「帰還法」において「ユダヤ教徒=ユダヤ人」という定義を正式に採用している。しかし、本人がユダヤ教徒でなくても、母親がユダヤ人ならばユダヤ人であるが、母親が非ユダヤ人である場合、父親がどうであろうと、本人はユダヤ人ではないという、チンプンカンプンでややこしい定義になっている。ちなみにユダヤ人が他の宗教へ改宗した場合、ユダヤ教ではその人を終生ユダヤ人とみなすという。

●いずれにせよ彼らの定義に従えば、他の民族が「ユダヤ人」になるには、ユダヤ教に改宗すればいいわけで、インド人でも黒人でもユダヤ教に改宗してユダヤ人になろうと思えばなれるというわけだ。しかし、ユダヤ教に改宗するためには聖書やヘブライ語を学ぶほか、ユダヤ教の宗教法に従って、ラビ(導師)の指導を受けながら、改宗の手続きを取っていくのだが、審査は非常に厳しいという。

実際に、日本ではおもに結婚を理由に、男女合わせて数十名がユダヤ教に改宗しており、最近では名古屋市の牧師が、宗教的信条ゆえにユダヤ教に改宗した例もある。もっとも、ユダヤ教は伝道活動をしないので、改宗者が大幅に増えることはないという。

●ところで、ノーベル賞受賞者の3分の1以上はユダヤ人といわれているが、ハイネ、マルクス、フロイト、アインシュタイン、チャップリン、キッシンジャーなどなどといった数多くの有名ユダヤ人たちは、不思議なことにほとんど白人系である。一体どうして世の中には「白人系のユダヤ人」が数多く存在しているのか? 本当のユダヤ人は白人では決してないはずである。

『旧約聖書』に登場するユダヤ人に白人は1人もいない。彼らは人種的に「セム系」と呼ばれ、黒髪・黒目で肌の浅黒い人々であった。モーセやダビデ、ソロモン、そしてイエスもみな非白人(オリエンタル)だったと記述されている。

 


英BBCが放送した「イエスの顔」

マンチェスター大学法医学教室が、
エルサレムで大量に発見された紀元1世紀の
ユダヤ人の人骨群の中から、当時の典型的な
ユダヤ人男性の頭がい骨を選出して復元した
ものである。中東男性の顔つきをしている。

 

●一般にユダヤ社会では、白人系ユダヤ人を「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼び、オリエンタル(アジア・アフリカ系)ユダヤ人を「スファラディ系ユダヤ人」と呼んで区別している。

アシュケナジーとは、ドイツの地名にもなっているように、もとはアーリア系民族の名前であった。一方、スファラディとは、もともと「スペイン」という意味だが、これは中世ヨーロッパ時代のユダヤ人たちの多くが地中海沿岸、特にイベリア半島(スペイン)にいたことに由来している。

8世紀以前の世界には、ごくわずかな混血者を除いて、白人系ユダヤ人はほとんど存在していなかった。それがなぜか8~9世紀を境にして、突然、大量に白人系ユダヤ人が歴史の表舞台に登場したのである。いったい何が起きたのか?

●自らアシュケナジー系ユダヤ人であった有名な思想家アーサー・ケストラーは、「白人系ユダヤ人の謎」に挑戦した。彼は若い頃からユダヤ問題に関心を持ち、シオニズム運動に参加し、ロンドン・タイムズのパレスチナ特派員を経て、1957年にはイギリス王立文学会特別会員に選ばれていた。彼は白人系ユダヤ人のルーツを丹念に調べ、1977年に最後の著書として『第13支族』を著した。彼はアシュケナジー系ユダヤ人の歴史のカラクリを指して、歴史が犯したひどいジョークだと言っていたという。

ケストラーの『第13支族』が出た当時、世界的に有名な新聞などがこの著書を絶賛してやまなかった。この本は、科学や思想が中心のケストラーの著作としては異色の書で、その内容は世界史の常識・認識を根底から揺さぶるほどの問題作であり、あまりの衝撃ゆえ、翻訳出版を控えた国も出た。1983年3月にケストラーが夫人とともに謎の自殺を遂げた時、当時の新聞の死亡記事に記載された彼の多くの著作リストの中には、この『第13支族』は省かれていた……。

 

 
(左)有名なユダヤ人思想家アーサー・ケストラー
(右)1977年に出版された彼の最後の著書『第13支族』。
彼はこの本の中で、白人系ユダヤ人のルーツは
「ハザール王国」にあると主張した。

 

●今日、白人系ユダヤ人のルーツは多くの研究者によって研究されており、

当時の書簡や記録に基づいた綿密な学術的研究によって、以下に記すような歴史的事実が現在明らかとなっている。

 

 

●7世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に、総人口が100万の「ハザール王国」という巨大王国が存在していた。住民はトルコ系白人(コーカソイド)で、商人・職人・武人として優れていたが、周囲の国とは違ってこれといった宗教を持っていなかった。

不運なことに、キリスト教を国教とする東ローマ帝国とイスラム教を国教とするイスラム帝国は、ハザール王国をはさむ形で、政治的にも宗教的にも対立していた。そのためハザール王国は、次第に両国の「宗教的な干渉」を受けるようになり、どちらの宗教に改宗しても、国全体が戦火に巻き込まれるのは必至という状況に陥った。

ふつう国が瀕死の状態になったときには、どちらか強い方の勢力を選んでしかるべきだが、ハザール王国の王オバデアは、こともあろうに国民まとめて「ユダヤ教に改宗」させてしまったのである。

●彼らはユダヤ教に改宗しただけでなく、自分たちは「血統的にもアブラハムの子孫」であるとした。いわばユダヤの仮面をつけてしまったのである。彼らがそこまでユダヤに同化した理由は、キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体にした宗教だから、ユダヤ教に改宗してしまえば、両国からの宗教的干渉を回避できると計算したためであったという。

●この、8世紀末から9世紀にかけて、全国民がユダヤ教に改宗してしまうという、世界史上、例を見ないことを成し遂げてしまったハザール王国は、なんとか持ちこたえたものの、東ローマ帝国と新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け、12世紀前後に滅亡してしまった。

この時に発生した大量の難民(改宗ユダヤ教徒ハザール人)は、西へ西へと移住し、東欧に住み着いた。この東欧に住み着いた難民たちこそが「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼ばれるようになった人々である。祖国を失ったハザール人は、この時から“ユダヤ人”として生きることとなったのである。

●国家的な「ユダヤ化政策(改宗政策)」を推し進めたハザール王オバデアから200年たったヨセフ王時代の書記は、以下のような記録を残し、ハザール人は全トルコ民族の先祖であるトガルマを通じ、ノアの長男セム(黄色人種)ではなく第3番目の息子ヤペテ(白人種)の直系子孫であることを断言している。

「……我々の父祖の系図から、トガルマには10人の息子があったことを知った。その子孫の名前はウィグル、デュルス、アヴァル、フン、バシリー、タルニアク、ハザール、ザゴラ、ブルガル、サビールである。我々は7番目の息子ハザールの子孫である。」

●このことに関し、イスラエルのテルアビブ大学でユダヤ史を教えていたA・N・ポリアック教授は、イスラエル共和国が建国される以前の1944年に『ハザリア』という著書を出版し、次のような見解を発表していた。

「……これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで東ヨーロッパのユダヤ人居住地の核となっていたのか、という疑問について、新たに研究していく必要がある。この定住地の子孫――その地にとどまった者、あるいはアメリカやその他に移住した者、イスラエルに行った者――が、現在の世界で“ユダヤ人”と言われる人々の大部分を占めているのだ……」

●アシュケナジー系ユダヤ人N・M・ポロックは、自然科学の教科書の翻訳者であり、出版会社から頼まれて本の校正もしていた学者であった。その彼が1966年8月、イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。

イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、後にはその重要な証言をもみ消そうと画策。ポロックは自分の主張を人々に伝えるため、その生涯の全てを費やしたという。

●このように「アシュケナジー系ユダヤ人」は、『旧約聖書』に登場するユダヤ人(セム系民族)とは「血縁的に全く関係のない民族(ヤペテ系民族)」であり、国をあげてユダヤ教に大改宗して以来、現在に至るまで“ユダヤ人”になりきってしまっているのである。

「アシュケナジー系ユダヤ人」が非セム系民族であるとすると、現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上が、本来のヘブライ人とは全く関係のない異民族ということになってしまうが、これは恐るべき事実である。この「ニセユダヤ人問題」(ちょっと言葉が悪いが)が世界史のタブーであることがうなずけよう。

●と同時に注意(考慮)するべき点は、「白人系ユダヤ人問題」というセンセーショナルな問題を扱う場合、幾ら「ニセユダヤ人」とはいえ、彼らは長い間“ユダヤ人”として生き、オリジナル・ユダヤ人と同じ「キリスト殺し」の汚名を背負い、悲惨な迫害を受け続けて来たわけであり、同情に値するという点であろう。

●さて、白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住したオリエンタル・ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

彼らは中世において世界のユダヤ人の約半数を占め、ラディノ語を話しアラブ・イスラム文化とも同化し最も活動的であった。ちなみにこの頃、既に彼らの間では「ハザール人のユダヤ教改宗」はよく知られており、有名なユダヤ人の詩人・哲学者であるユダ・ハレビは、ハザール人の改宗について「ハ・クザリ」という詩で歌っていたという。

しかし1492年に、スペインでキリスト教への改宗を拒否したユダヤ人に対して、徹底的な追放政策がとられると、約25万人が北アフリカ、イタリア、オスマン帝国に移住。オスマン帝国はユダヤ人を喜んで受け入れたので、「コルドバ」に代わって「テサロニケ」がスファラディ系ユダヤ人の中心地となった。

●ところで、アラブ人は「アブラハムの次男イサクの子ヤコブの子孫(イスラエル12支族)」ではないが、「アブラハムの長男イシュマエルの子孫」である。そういうこともあって、オリジナル・ユダヤ人とアラブ人とは、同じ「アブラハムの血族(セム系民族)」として昔から仲が良かったのである。事実、20世紀初頭に第一次世界大戦が起こるまでのパレスチナでは、アラブ人とユダヤ人とは仲良く共存しあっていた(ユダヤ人は少数民族であった)。

●しかし、そんな彼らが現在のような血生臭い中東問題を起こしているのはなぜなのか?

なぜユダヤ人国家イスラエル共和国は「ユダヤ人」という語の定義をあいまいなままにして、民族的混血状態を放置しているのだろうか? なぜ神に選ばれた選民として、『旧約聖書』に忠実に生きようとしないのか? そもそもなぜイスラエル共和国はアラブ人の土地に強引に建国され、しかもアラブ人と共存しようとしないのであろうか?

これらの素朴な疑問を解決するには、イスラエル共和国がユダヤ人の民族的自立のために建国されたというよりも、西側諸国の中東支配戦略の一環として誕生したという、非常に人為的で特殊な歴史的背景を理解する必要があるだろう。

●この特殊な歴史的背景に関しては、あとあとで触れるが、それにしても一般に“ユダヤ人”と呼ばれている人間のほとんどがハザールをルーツにしているとすると、一体全体、現在の地球には本当の選民、つまり『旧約聖書』で活躍し神に愛された「イスラエル民族」の真の末裔たちは、どのくらい生き残っているのであろうか? もしかすると、とっくのとうの昔に、ほとんど消滅してしまっていて、ごくわずかしか現存していないかもしれない……

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