栄華を極めた世界最大最強のロスチャイルド財閥

栄華を極めた世界最大最強のロスチャイルド財閥

近代における反ユダヤ主義の特徴は、ユダヤ人がイエス・キリストを殺した民族だからというよりも、ユダヤ人がゲットーから解放されたのち、彼らが急激にビジネス界に進出して大成功を収めていったことに対して他民族が嫌悪感・嫉妬・ただならぬ不安を抱いたという点にある。 彼らは世界経済不況の中でも稼ぎ続けた。 そのため、世界経済不況や暴力革命は全てユダヤ人の陰謀だとする書物も出回ったほどである。 我々は、冷静な目を持ってユダヤ商人の歴史を眺められる時代に生きている。 彼らがどのような世界を築いてきたかを知る前提として、ロスチャイルド家の歴史を知ることは為になる。

19世紀以来、資本主義の世界的発展とともに、国際金融資本家(国際金融業者)という新勢力が台頭してきた。 国際金融資本家は国家というものに捕らわれず、国家の利益よりも自分たちの利益を優先し、世界中で暗躍してきた。 従って、国際金融資本家の暗躍は国家の枠組み(各種制度や国民意識)を崩壊させる作用を持っている。 国際金融資本家の筆頭はロスチャイルド家である。 日本人の中にはロスチャイルド家の存在すら知らない人が多くいるが、ロスチャイルド家は現実に存在しているファミリーであり、現在、世界最大最強の巨大財閥である。 欧米の上層階級の人間は、ロスチャイルド家のグローバルな利権支配が一般大衆に知られることを妙に嫌っている。 そのため、一般大衆の間でロスチャイルド家を問題にすることはタブーとされる風潮がある。 ユダヤ人を総合的に取り扱うに際して、ロスチャイルド家はどうしても避けられない存在なので、大雑把に触れておく。 想像を絶する彼らの世界的ネットワークを詳細に知りたい方は、『地球のゆくえ』『赤い楯』(ともに集英社)の中に「血のコネクション&資本のコネクション」が系図と共に克明に描かれているので、それをご覧になると良い。 日本人は彼らと対等に付き合うためにも、ロスチャイルド家のことを知っておいて損はないと思う。

ロスチャイルド家の歴史はマイアー・アムシェル・ロートシルト(ドイツ語読み、Mayer Amschel Rothschild、のちのロスチャイルド1世、英語読みではメイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、西暦1744年~1812年)の活動から始まる。 彼(マイアー)は西暦1744年にフランクフルトのゲットーでユダヤ商人の長男として生まれた。 当時、フランクフルトのゲットーに住むユダヤ人に公的な家名は許されていなかったが、彼(マイアー)の家族は赤い盾(roth Schild)の表札の付いた家で暮らしていたので、マイアー一家はゲットーの中では 「Rothschild」 と呼ばれていた。 そこで、マイアーは 「Rothschild」 を家名として使うことになった。 マイアーの父は金貸し業を営み、信仰心の厚いユダヤ教徒で、マイアーにはラビ(ユダヤ教の指導者)になることを期待していた。 その為、マイアーは幼くしてフュルト(フランクフルトから東南東170kmにある町)のラビ養成学校に入学し勉強した。 しかし、マイアーの父が1755年に死去し、母も翌年の1756年に死去したので、マイアーはラビ養成学校を退学した。 マイアーは13歳の頃、親戚の紹介でハノーバー王国のユダヤ人銀行家オッペンハイム家に丁稚奉公に入り、ここで宮廷御用商人の業務を学んだ。 マイアーは20歳でフランクフルトに戻り、フランクフルトのゲットー内で古銭の販売業を始めた。 当時の諸侯・貴族・金持ちには古銭の収集家が多かった。 マイアーは諸侯・貴族・金持ちにカタログを送り、郵便で注文を受けて配送するという通信販売を行なった。 マイアーがオッペンハイム家で働いていたときに知遇を得ていたエメリッヒ・フォン・エストルフという将軍を顧客にすることが出来た。 その当時、この将軍はフランクフルトの領主ヘッセン侯爵家のヴィルヘルム皇太子(のちのヴィルヘルム9世)に仕えていた。 マイアーはこの将軍の紹介でヘッセン侯爵家の高官たちを次々と顧客にし、21歳の時にヴィルヘルム皇太子からも注文を受けるようになった。 そして、西暦1769年、マイアーは26歳でヘッセン侯爵家の宮廷御用商人に登録された。 西暦1770年、マイアーはフランクフルトのゲットーの住民で宮廷御用商人サロモン・シュナッパーの娘と結婚した。 そして、マイアーは彼女との間に息子5人と娘5人とをもうけた。 ヴィルヘルム皇太子は領内の青年男子を徴兵して練兵場で鍛え上げ、イギリスの君主に傭兵として貸し出し、そこから莫大な利益を上げていた。 一方、マイアーは小規模ながら両替商をも営んでいた。 そして、マイアーはヘッセン侯爵家の財務官カール・ビュデルスからも気に入られていたので、マイアーはロンドンから振り出されたヴィルヘルム皇太子の為替手形を現金化する仕事に携わらせてもらえるようになった。 西暦1785年にヘッセン侯爵が亡くなると、その子ヴィルヘルム皇太子は莫大な財産を相続し、ヴィルヘルム9世となった。 この財産は当時のヨーロッパで最大の私有財産と言われている。 同年、ヴィルヘルム9世はカッセル(フランクフルトから北北東140kmにある町)の城に移った。 その為、マイアーとヴィルヘルム9世との関係が途絶えそうになった。 その当時、ヴィルヘルム9世にとってマイアーは数多くいる宮廷御用商人の1人でしかなかった為、マイアーが宮廷に顔を出す機会が減った事だけで、マイアーとヴィルヘルム9世との関係は疎遠になった。 しかし、やがてマイアーの息子たちが父の仕事を手伝うようになった。 次男サロモンはほぼ毎日のようにカッセルの城に詰めるようになった。 長男アムシェルはヴィルヘルム9世の抵当権に関する仕事に携わらせてもらえるようになった。 こうして、精力的なマイアーの息子たちの活動が高く評価され、マイアーの息子たちはヴィルヘルム9世からも気に入られ、西暦1789年、ロートシルト銀行は大銀行と名前を並べる形でヘッセン侯爵家の正式な金融機関の1つに指定され、ヘッセン侯爵家の貸出業務に関与できるようになった。 また、三男ネイサンは、大陸でフランス革命の影響で綿の価格が暴騰していたことを受け、西暦1798年、綿を大量に買いつける為にイギリスのマンチェスターへ渡って行った。

マイアーの息子たちの努力によってロートシルト家の業績は1790年代から急速に伸び、1796年にはマイアーはフランクフルトのゲットーの中で一番の資産家となった。 先に述べたように、マイアーには5人の息子がいた。 マイアーは長男を除く4人の息子のそれぞれを西ヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を開業させた。 そして、その4人の息子のそれぞれはロートシルト家の支家となった。 三男ネイサン・マイアー・ロートシルト(のちのロスチャイルド2世、西暦1777年~1836年)は西暦1804年にロンドンに派遣され、そこで 「ロンドン・ロスチャイルド商会」 を開いた。 次男サロモン・マイアー・ロートシルト(西暦1774年~1855年)はウィーンに派遣され、五男ヤコブ・マイアー・ロートシルト(のちのロスチャイルド3世、西暦1792年~1868年)はパリに派遣され、四男カール・マイアー・ロートシルト(西暦1788年~1855年)はナポリに派遣され、それぞれ支店を開業し、長男アムシェル・マイアー・ロートシルト(西暦1773年~1855年)はフランクフルト本店に残った。 このようにして、ロートシルト家の取引範囲が広がっていき、ドイツの都市だけでなく、ロンドン、ウィーン、パリ、ナポリ、アムステルダムなど、外国の都市でも活動するようになり、西ヨーロッパの主要都市を結ぶ貿易ルート(通信と馬車輸送のネットワーク)を作った。 そして、この頃からロートシルト家の業務は信用供与と貸付業務が主となり、ロートシルト家は宮廷御用商人から国際銀行家へ転身したと言える。 マイアーはヘッセン侯爵家の宮廷御用商人として長年やって来られただけあって、穏和な性格の人で、人の心を掴むことが得意だったと言われている。 また、マイアーの商売は正直であり、取引相手も必ず儲けることが出来た。 これがロートシルト家の高い信用の源であった。

西暦1801年、マイアー(ロスチャイルド1世)は57歳でヘッセン侯爵家の莫大な財産の管理を任された。 西暦1806年10月、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がヘッセン選帝侯国にも侵攻してきた。ヘッセン選帝侯となっていたヴィルヘルム9世は領土を放棄しなければならなくなった。 その時、ヘッセン侯爵家の財務官カール・ビュデルスは 「ヘッセン侯爵家の財産の保管を大銀行に任せると、フランス当局に見つかる恐れが大きい」 と考え、その財産の保管をロートシルト銀行に任せることを決断し、ロートシルト銀行にヘッセン侯爵家の莫大な財産を投資信託という形で保管させた。 その時より1年前の西暦1805年10月、フランス海軍はトラファルガーの海戦でイギリス海軍に敗れ、ナポレオン・ボナパルトのイギリス侵入計画は失敗した。 その為、トラファルガーの海戦以降、イギリスのロンドンがフランス軍によって侵攻される恐れは小さかった。 そこで、ロスチャイルド1世はヘッセン侯爵家の莫大な財産をロンドン支店の三男ネイサンに送って管理させた。 このヘッセン侯爵家の莫大な財産こそがロスチャイルド家の巨万の富の源となっていく。 西暦1806年にナポレオンが大陸封鎖令を出した所為で、大陸諸国ではイギリスやイギリスの植民地からの輸入に頼っていた綿製品、毛糸、煙草、コーヒー、砂糖、染料などが不足して、これらの商品の価格が高騰した。 一方、イギリスでは、これらの商品が大してさばけない為、これらの商品の価格が暴落した。 そこで、ロンドン支店の三男ネイサンはヴィルヘルム9世から預かっている莫大な財産を元手にして、イギリス内のこれらの商品を大量に安く仕入れ、これを大陸へ密輸した。 そして、大陸にいたロスチャイルド1世と4人の息子は、彼らが大陸内に予め作っておいた貿易ルートを使って、三男ネイサンから送られてきた商品を大陸各地で売りさばいた。 こうした商売でロートシルト家は巨万の富を得た上、商品不足で困っていた大陸諸国民からも大いに感謝された。 以上のようにして、ロスチャイルド1世はヘッセン侯爵家の財務に深く関わり、宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーデン)となった。 ロスチャイルド1世は1812年9月に亡くなった。

ロスチャイルド1世の5人の息子はそれぞれの国の政府と癒着して貴族の称号を得て、政治的にも活躍し、今日のロスチャイルド財閥の基礎を作った。 ウィーン支店の次男サロモン・マイアー・ロートシルトとパリ支店の五男ヤコブ・マイアー・ロートシルトは協力して、ヨーロッパ全体をカバーする通信と馬車輸送のネットワークを作り上げた。 そして、そこから誰よりも早く得られる情報を利用して、ロンドン支店の三男ネイサン・マイアー・ロートシルトが金や通貨の投機をして大儲けするという、兄弟ならではの連携プレーをし、今日のグローバル金融ビジネスの原型を作り上げた。 また、西暦1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、ロンドン支店の三男ネイサン・マイアー・ロートシルトがロンドン証券取引所の新しい支配者となり、世界一の金融王となった。 西暦1813年にイギリス東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロンドン支店の三男ネイサン・マイアー・ロートシルトがインド貿易の利権を支配するようになった。 三男ネイサン・マイアー・ロートシルト(ロスチャイルド2世)は1836年7月に亡くなった。 彼の死後、パリ支店の五男ヤコブ・マイアー・ロートシルトがロスチャイルド3世となった。 パリ支店のロスチャイルド3世は1868年11月に亡くなった。

知っている人も多いと思うが、ロンドン支店の三男ネイサン・マイアー・ロートシルトには有名なエピソードがある。 ナポレオン・ボナパルトがワーテルローの戦い(西暦1815年)で敗北したとき、 三男ネイサン・マイアー・ロートシルトは自慢の通信網を駆使し、「ナポレオン勝利」という偽情報をイギリスに垂れ流し、大暴落した株を買いまくった。 その日の午後、ロンドン証券取引所が閉まった時、彼はロンドン証券取引所に上場されていた株の62%を所有していたという。 そして、のちに「ナポレオン敗北」という真情報が公になり、株価が急騰したとき、彼は300万ドルの自己資産を2500倍の75億ドルに増やした。 この日、イギリスの名門金融業者の多くが破産したと言われている。

ロンドン支店のロスチャイルド2世はあくまでも金融業で発展を遂げた。 それに対して、パリ支店のロスチャイルド3世は金融業だけでなく、新しい交通手段として登場した鉄道の将来性に着目して鉄道事業に進出し、「ヨーロッパの鉄道王」となった。 また、ロスチャイルド3世は南アフリカのダイヤモンド鉱山や金鉱山に投資し、更にロシアのバクー油田の利権を握って「ロイヤル・ダッチ・シェル」をメジャーに育て上げ、情報産業・交通産業・エネルギー産業・貴金属産業で自己の権力を拡大していった。

西暦1862年、ロスチャイルド一族はナポレオン3世と金融提携をし、西暦1870年にはバチカンに融資を開始し、ロスチャイルド一族がカトリック教会を金融支配するという事態になった。 西暦1875年にはイギリス政府がロスチャイルド一族の融資によってスエズ運河会社の最大株主となり、ロスチャイルド一族はイギリス政府との癒着を更に深めていった。

以上のように、ロスチャイルド一族の華々しい活動の一端を見るだけで、19世紀末にはロスチャイルド一族が世界最大の財閥にのし上がっていたことが分かる。 とりわけ、その時期の非鉄金属資源の分野への進出ぶりは目覚ましいものがあった。 ロスチャイルド一族は西暦1880年に世界三大ニッケル資本の1つである「ル・ニッケル(現イメルタ)」を創設し、西暦1881年には亜鉛・鉛・石炭の発掘会社「ペナローヤ」を創設し、スペイン、フランス、イタリア、ギリシャ、ユーゴスラビア、北アフリカ、南アフリカにまで事業を拡大し、西暦1888年にはダイヤモンドの採掘・加工・卸売を行う「デビアス社」を創設し、更に南アフリカ最大の資源開発複合企業「アングロ・アメリカン」(オッペンハイマー財閥)と提携した。 因みに、つい最近まで南アフリカを騒がしていたアパルトヘイトの真犯人はロスチャイルド一族の代理人たちであった。

20世紀になると、欧米列強の政府は、非鉄金属や石油などの地下資源を押さえた者が世界を制するという考えに基づいた国家戦略を立て、これを実行した。 そして、その戦略にロスチャイルド一族のビジネス戦略が連動していた。 20世紀末の今日、ロスチャイルド財閥は単なる財閥ではない。 現在、ロンドン分家とパリ分家を双頭とするロスチャイルド財閥は主要メディア(情報網、金融網)を支配し、かつ、あり余る力を使って、世界中の金・ダイヤモンド・ウラン等の地下資源を確保しようとしている巨大な企業連合体である。

ロスチャイルド家は白人系ユダヤ人(ハザール系ユダヤ人)ではなく、セム系ユダヤ人であるとの噂があり、イエス時代のパリサイ派ユダヤ人までの血統図を家宝として自慢しているという噂もある。 パリサイ派ユダヤ人といえば、イエス登場の時に、イエス派ユダヤ人と真っ向から対立した集団である。 パリサイ派ユダヤ商人は当時のエルサレム神殿をマーケット広場として利用し、のさばっていた。 そのため、エルサレム神殿に入城したイエスに激しく罵られたことでも知られている。 因みに、ロスチャイルド一族には婚姻によりユダヤ人以外の人物も多数含まれるが、貧しいユダヤ人はこの一族の中には絶対に入れない。

ロスチャイルド一族の活動を否定的な見方だけで受け取ってしまうのは良くないので、彼らの言い分を載せるとしたら、次のような言い分が適切であろう。 「我々は純粋にビジネスを追求しているのであり、国際ルールを侵してはいない。 先見性に優れ大胆かつ緻密なビジネス戦略の積み重ねが今日のような確固たる地位を築いたのである。 我々のことを悪く言う人がいるが、我々は現代文明のあらゆる分野に多大な恩恵をもたらし、人類全体に計り知れない貢献をし続けていることを忘れないでくれたまえ」。 関係者によると、ロスチャイルド一族の人々は自分たちが現代文明をリードしてきたという強い自負を持っているとのことである。 確かにその通りだと思う。 彼らは文化的事業において非常に国際的で活動的であり、映画産業界・ファッション産業界だけでなく、各種の国際研究所やノーベル財団等の学術界においても、輝かしい業績を挙げている。

そうだとしても、彼らのビジネスが各国の政府機関、各国の王室、各国の報道機関、各国の諜報機関などと密接に結び付いているとあっては、話は違ってくる。 彼らが軍需企業と癒着しているとあっては、なおさらである。 世界中にのさばっている兵器商人の多くはロスチャイルド一族と何らかの関係を持っている。 「戦争のあるところにロスチャイルド一族の姿あり」 と言われている。 彼らは戦争をビジネスとして淡々と扱う。 そこに尋常ではないものを感じる。 どこまでがビジネスとして許されるかが問題である。

ロスチャイルド家は金融力によって宮廷ユダヤ人となり、本来ならユダヤ人が絶対にもらえない「男爵位」を得た。 そして今や、ロスチャイルド一族は世界中のユダヤ商人のほとんど全てを配下とし、世界中のユダヤ商人勢力の中核となっている。 現在、世界中のユダヤ商人のほとんど全てはロスチャイルド一族のネットワークの中に取り込まれていると言って良い。 ロスチャイルド一族を筆頭とする彼らユダヤ商人にとって、国境は無いに等しい。 ロスチャイルド一族は正に世界を股に掛ける商売をしているのである。

西暦1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル(全世界の富の50%、アメリカの全資産の2倍)を支配していたと推定されている。 彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖してきた。 彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパで広がり、次いでアメリカで広がり、次いで、アジア、アフリカ、オーストラリアで広がった。 そして、彼らの勢力は戦争・暴力革命・経済恐慌など、あらゆる動乱の度毎に膨張してきた。 ロスチャイルド一族を無視しては、19世紀以降の戦争や平和を語ることが出来ず、総じて19世紀や20世紀や21世紀を語ることが出来ない。 ロスチャイルド家は近代・現代ビジネス史上、最も成功したファミリーであることは誰も否定しようがないと思う。 しかし、私は彼らの異常な資本蓄積状態と異常な政略結婚が余り長くは続かないと思っている。

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