1942年 金貸しはスパイを使って日本を餌食に

金貸し勢力のスパイの証言(10)~金貸しはスパイを使って日本を餌食に!~

ノルマンディー大作戦 ベラスコ

いよいよ、スパイによる日本を巻き込んだ情報戦の内容に移っていきます。

日本は、ベラスコとのスパイ契約、そして日本政府内に送り込まれた内通者によって、知らず知らずのうちに、丸裸にされていきます。

その背後には金貸しの存在があり、送りこんだスパイによる機密情報を基に、日本を始め世界各国を操っていきます。

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以下、「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介

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◆TO機関の正体は「第三極の情報機関」

べラスコは自らが英国議会で特別演説する確約も英国側から取り付けた。敵を信じ込ませる点で、べラスコはスパイの枠を超えていた。ゆくゆくはチャーチル首相の後釜に座ろうという野心と実力に満ちた議員の支援もべラスコは取り付けていた。高度な機密情報たとえば―――。

 

第二次大戦後のモロッコ割譲条件、ジブラルタル割譲事案、スペイン・フランス間の国境を手直しするスペイン領土拡大計画案などなどの外交機密案件がベラスコの手元に集まった。

 

軍事関係では、ダンケルク敗戦以後の同盟軍の巻き返し戦略と戦術、部隊編成や装備規模など、対ドイツ反攻作戦の細部資料や証拠類も英国軍将校らから入手してベルリンに伝えた。本当のところ、フィルビーがマドリードでのベラスコ捕獲劇を別の方法でやってくれていれば、あの史上最大の作戦と呼ばれたDデイ(:ノルマンディー上陸作戦)を失敗させることが出来たのに、べラスコはそういって悔しがっていた。だが、フィルビーに言わせれば、ロンドンのニセ外交官(べラスコ)がこれほどの大仕事をするスパイに成長するとは正直のところ夢にも思わなかったのだ。つまり実は、ベラスコがフィルビーとは違う組織のスパイだったことをフィルビーが知らなかっただけなのだ。

 

地中海を通過する英国海軍船団の艦艇名称や船複数、仕向け先のチェックなど地道な情報収集にもべラスコは抜かりなく励んだ。

 

TO情報機関(以下、TOと略称)は、べラスコは、べラスコがロンドン赴任と同時にドイツが創設した新しい対英米情報機関だった。その組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーした。米国沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴにそれぞれ機関員を二名づつ合計6人を配して、マドリードの本部が直轄指揮管理、現地6人の周辺にさらに数人、時には十数人の端末細胞を適宜増員した。

 

TOの存在価値はスペイン語圏での情報支配にあった。北米大陸の南西に接するスペイン語文化圏に人脈を持ち、東アジアの権益圏へと航行する英国艦隊航路の行く手を阻むスペイン領土(ジブラルタルとモロッコ)にもスペイン人による地中海ネットワークを配していた。開戦を期に枢軸国が失った南北両大陸の在外公館に変わる現地情報収集拠点として活動したTOの存在価値はドイツ政府に対しては計り知れない価値をもたらしていた。

 

TOは独立した情報機関として枢軸三カ国と連携した。が、とはいえ、信義さえ忘れれば連合国とも提携できる機関だった。あとでわかるのだが、TOは枢軸国と連合国とを監視する第三極の情報機関のひとつだった。この事実は本書で初めて筆者は明かすものだ。おそらく墓地で眠るべラスコは驚いていることだろうが―――。

 

TOの最も価値ある点は、リーダー、べラスコ自身の体内に流れているユダヤ系民族の血と、教会で培った経験にあった。ユダヤ教対キリスト教の対決論議を子守唄代わりにして育ったべラスコは、戦争の奥底にひそむこうした信条問題を知り尽くしていた。つまり、ユダヤ系民族が暗躍して支配する特殊世界の本質を心得タベラスコがリーダーだった点がTOの価値を高めたのだ。

 

べラスコと日本政府須磨公使の出会いは、べラスコがスペイン外相スニエールを窓口に斡旋仲介をすすめて始まった。須磨公使はスペイン政府のお墨付きのTO情報を「買う」許可を得るため、本国政府東郷外相に次のような電文を送った。

 

(中略)

 

◆TO情報は全て連合国の目に曝されていた

 

この提携関係を、フランコとスニエールの線でまとめさせた陰の人物は、ドイツ国防軍事情報部長官カリナスだった。須磨公使はスペイン政府ではなく同盟国ドイツ政府を信用した。中立国スペイン政府は仲介役に過ぎない。そのスペイン政府は須磨公使にべラスコを斡旋することで、日本とドイツに貸しを作るのみならず、その結び付きで生まれる情報をただ取りできる、他人のフンドシで相撲を取って「漁夫の利」をねらったいかにもユダヤ系寄生民族らしいフランコのやり方だ。

 

スペイン側メンバーは外務大臣スニエール、最高参謀本部内のナンバー2で陸軍少将カンポス、政府情報局文書課長ブランコだ。この三人は須磨公使に希望を与えると同時に義務も要求した。ブランコはフランコの後継首相とも見なされた人物だったが、のちに暗殺された。べラスコはブランコの死をシャンパンで祝ったものだった。フランコと同類だったからだとべラスコ。

 

ブランコと同じフランコ総統直属の報道局長ベネロはフィルビーの秘密仲間、つまりソ連のスパイだった。日本の須磨公使はこうして寄ってたかる禿で鷹の餌食にされたのだ。こうした騙しの内実がばれたのを知ったベラスコは、深夜のマドリード誘拐未遂事件もあり、日本公使館はむろんのこと自国政府にも助命を求めずガリシアからベルリンへと逃亡したのだ。

 

ベラスコの唯一の味方はナチス・ドイツだったことになる。ではスペイン政府はベラスコにとって、一体どんな存在だったのか。つまり、世界権力者のアジトはベルリンにあったことになる。すなわちヒトラーのみが、ベラスコの守り神だったのだ。ということは、ヒトラーの守り神は世界寡頭権力者勢力だからベラスコは無言のうちに誰のためにはたらいているのかを明かしてしまっているのだ。

 

情報は須磨公使による発信であれ、東京発であれ、日本とドイツ(スペイン)の間を往き交った外交電文のすべてがマドリード政府を経由してあらゆる連合国の目に曝されていた。連合軍はこれらの電文の文面からじっくりと日本政府と軍部の出方を観察した。無論このからくりは、日本政府・軍部内に寄生する「敵側協力者」らによる企みによるものであり、TO機関との契約は駐スペイン公使館とドイツ側の極秘活動の手の内を教える情報契約そのものだったことに須磨は気づかなかったのである。

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