1938年 資本主義は最終的に社会主義に行き着く

「天皇」という力の正体とは?(7)~資本主義は最終的に社会主義に行き着く

本題のテーマとは少し離れるが、『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』(吉田祐二著)には、戦前の日本の国家運営体制に関する興味深い論考がある。それは、「資本主義と社会主義は本質的に同質」というものだ。

今回はこのことに関する記述を紹介していく。
socialism-vs-capitalism

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■戦後の高度経済成長を可能にした「総動員体制」

 一般的な常識に反して、戦時体制は財界と軍部の協同体制であった。
(中略)こと生産力に限ってみれば、この戦時体制はすぐれたシステムであったといってよい。そのことを論じたものが、経済学者、野口悠紀雄による『1940年体制』である。
野口氏は同書のなかで、企業体制、金融構造、官僚体制、土地改革などが昭和十五年(一九四〇)前後に大きく変わっており、それが終戦を経て現在まで続いていることを論じた。つまりこの体制が、日本の戦後の高度経済成長を可能にしたというのである。
(『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』第3章より。以下同)

 それでは、この体制はいかにして生まれたのか。
この戦時の国家総動員体制は、満州国建国に寄与した革新官僚たちに因(よ)るものである。彼らは綿密な経済計画を立ててそれを実行する、計画経済主義者たちである。

私たちは普通、日本は資本主義国家だと考えている。しかし、高度経済成長を成し遂げ、バブル経済を謳歌し始めた頃には、国家、企業、国民が一体となって、「一億総中流」と呼ばれた格差の少なさで世界第2位の豊かさを実現した姿を見て、「世界で最も成功した社会主義国家」と評されることも多かった。その日本型資本主義体制の原点は戦前が軍国主義体制にあったのだという。

一九四〇年以降の日本では、生粋の資本主義者たちである財界人と計画経済主義者である官僚が、お互い手を取りあって戦時の総動員体制を推進したのである。このことは、一見不思議に思えるだろう。思想が一八〇度異なる人たちが、物事をいっしょに進められる訳はないと。ここから、戦時中は、無力な財界人は暴力装置を背後にもった軍部に引き摺られて、無理やり戦争に協力させられていたのだ、逆らえば殺されていたのだ、という言論が生まれることになる。
しかし、事実はそうではなかったのである。

18世紀には既に、武力<資力の金貸し(世界的な財閥でもある)支配の時代になっていたこと、金貸しにとって戦争は儲けの手段であることが明らかな現在においては、戦時中、無力な財界が軍部に引き摺られていただけという言説はもはや説得力を持たないだろう。

筆者はさらに踏み込み、財界、官僚それぞれの背後にある資本主義と社会主義という思想自体が、そもそも本質的には同型であることを、オーストリアの経済学者シュンペーター(1883~1950)の理論を根拠に指摘する。
Schumpeter

■資本主義の最終段階は社会主義である

シュンペーターの後年の主著である『資本主義・社会主義・民主主義』から引用する。

 もし、資本主義発展―「進歩」―が停止するか全く自動的になるかすれば、産業ブルジョワジーの経済的基礎は、ついには、しばらくは余命を保つと思われる準地代の残存物や独占的な利益を除けば、日常的管理の仕事に対して支払われるごとき賃金だけに押しつめられてしまうだろう。資本主義的企業は、ほかならぬ自らの業績によって進歩を自動化せしめる傾きをもつから、それは自分自身を余計なものたらしめる―自らの成功の圧迫に耐えかねて粉砕される―傾向をもつとわれわれは結論する。
(中略)
その過程においてブルジョア階級は、自己の所得を失うのみならず、それこそもっとも重要なことであるが、その機能を失うのをいかんともなしがたい。社会主義の真の先導者は、それを説法した知識人や先導者ではなくて、ヴァンダービルト(Vanderbilt)、カーネギー(Carnegie)、ロックフェラー(Rockefeller)の一族のごとき人々である。この結論は、あらゆる点においてマルクス主義的社会主義者のお気に召さないものであるかもしれない。いわんやいっそう通俗的な(マルクスならば俗流と呼んだにちがいない)種類の社会主義者にはなおさらであろう

資本主義な経済発展、それは銀行が企業に融資し、企業はそれを生産にふり向ける。というプロセスを指している。それがすべて「計画」通りに、順調に進めば、そもそも利潤というものはなくなってしまうのである。なぜなら、その利潤さえも計画に繰り入れているので、利潤は利潤ではなくなるからである。

シュンペーターは、デヴィッド・ロックフェラーの家庭教師を務めたことでも知られる。「資本主義が高度になればなるほど計画的な統制経済、すなわち社会主義に近づく」、というシュンペーターの教えは、ロックフェラー家当主にも大きな影響を与え、後にデヴィッドをフェビアン社会主義の研究に向かわせる契機にもなったのではないかと筆者は考察する。

現在、日本では、インターネットの言論統制や秘密保護法などの国民支配の法制度が、次々成立しつつある。共産主義国家の中国における言論統制の強さはよく知られているが、日本もおよそ自由民主を謳う国とは思えないような状況になりつつある。上記を踏まえれば、これは資本主義の最終段階としての「社会主義化」が進みつつあると見ることもできるかも知れない。

しかし、この社会主義=統制経済とは、前半で紹介した集団意識に基づく日本型資本主義=社会主義ではない。即ち、シュンペーターが指摘し、彼の教え子であるデヴィッド・ロックフェラーが構想した「資本主義の最終形態としての社会主義」とは、資力を独占した資本主義の最終勝者(≒金貸し)が、その他の人々を「計画的に」統制する、支配体制の完成を意味するのではないだろうか。

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