1919年 秘密のベールに包まれている英国のスパイ機関

金貸し勢力のスパイの証言(7)~秘密のベールに包まれている英国のスパイ機関~

 

 

お城

イギリスの情報機関が入手した情報は全てロシアに(そしてドイツにも)筒抜けであったということは、驚きです。その背景には、エリート達のマルクス・レーニン主義信仰があることも。。

そして、このイギリス情報機関MI5やMI6の生みの親と思しき人物が、ミルナー卿だ。

ミルナー卿といえば、裏社会をリードするRIIAの創設者で、フリーメイソン。

 

1919年 ローズグループとミルナーグループとの間で、RIIAとCFRの設立が決まる・イギリスの権威を絶対的にすることを目的に、ミルナー卿の円卓会議とローズ卿のローズ基金との間で、RIIAとCFRの誕生が決まった。・国際連盟は表の顔であり、裏でコントロールする組織としてRIIAとCFRが存在する。

『裏の支配勢力史6 第一次世界大戦~ナチス~RIIA~CFR~BIS』

 

そして、このミルナー卿の背後にはロスチャイルドがいることは有名な話。

裏で各国を操っていくには、諜報活動が不可欠であることがわかる。

 

>1899年 南アフリカで金とダイヤモンドの鉱床が発見されると、ロスチャイルド財閥のイギリスは、この国の支配を企てた。セシル・ローズの支援を受けたアルフレッド・ミルナーが三次にわたるボーア戦争を仕掛け、先住のオランダ系ボーア人を征服した。

『ロスチャイルドメモ192320世紀初 金本位制の成立と限界南ア支配・ロシア革命へ』

 

「伝説の秘密諜報員 べラスコ」(高橋五郎著)を基に転載紹介

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◆秘密のベールに包まれている英国のスパイ機関

Nathan_Rothschild ミルナー卿

「全て焼却処分されました」

これが英国政府当局のお決まりの回答だと憤慨するのは、対戦当時の情報活動資料を求める史家や研究家たちだ。だがガードの固い英国政府にとっては、米国ワシントンの国立公文書館が保管中のナチスドイツ関係資料は気のもめる「不発弾」に見えることだろう。帝政時代の秘密情報活動の公開を禁じているソ連と同様に、16世紀の情報活動記録でさえいまだに極秘にしている英国にと違ってアメリカ国立公文書館は民主自由を謳う国の機関だけにオープンだからだ。

 

たとえば、4億5千万円の税金をつぎ込み、法廷闘争で敗訴したサッチャー首相の態度は、英国政府の情報活動に対する神経過敏ぶりを象徴している。英国軍事情報部MI5を退職した元情報員の回顧録(『スパイ・キャッチャー』)がサッチャー首相を激怒させたものだが、その本には、ハロルド・ウィルソン前英首相の失脚工作や故人のアンソニー・イーデン元首相によるエジプトのナセル首相暗殺計画など、1955年から76年にかけてMI5が果たしてきた陰謀、策略の内幕がるる述べられていた。元MI5幹部によるこの本が英国の安全保障を妨げるというのがサッチャー首相の言い分。英国最高裁判所の上院常任控訴裁判官5人(法官貴族)は、サッチャー政府の主張する報道永久差し止めを却下した。敗訴はしたものの、情報員の秘密保持の義務という大儀が認められと評価する政府側は、情報員の秘密保護規正法強化にいっそう拍車をかけることになる。

 

こんな話題が生まれるほど、英国の納税者は情報機関の過去と現在について知らされていない。現在も尚英国政府が徹底非公開の構えを取り続けているその裏には、この50余年間に国家機密をソ連情報機関の手で存分の盗まれた痛い教訓からだろう。

 

英国のスパイ機関の生い立ちと現況が秘密のベールに包まれているからこそ、かえって空想力あふれる元スパイ作家が多数輩出する。

 

べラスコを取り逃がしたMI6(その前身のSIS)に所属したサマーセット・モーム(『月と6ペンス』『人間の絆』)、同じくグレアム・グリーン(『事件の核心』『第3の男』)、そしてMI6とMI5を渡り歩いたジョン・ルカレ(『死者にかかってきた電話』『寒い国から来たスパイ』)らだ。英国海軍情報部出身のイアン・フレミングは「ジェームズ・ボンド・シリーズ」で名をなした。

 

1890年、ヴィクトリア王朝の陸軍省が対帝国ロシア、対アイルランド独立運動から秘密情報活動を始めて大英帝国の情報機関が創設され、それらの経験がロンドン警視庁公安部の基礎にもなった。英国秘密情報部SISの軍事情報部(ミリタリー・インテリジェンス)第5課(エム・アイ・ファイブ=MI5)が1905年に創設されて国内の防諜を担当、その4年後に対外情報活動担当の第6課(MI6)が創設された。

 

第二次大戦時に英国情報界と政界を支えたのがオックスフォード、ケンブリッジの両名門大学学生たちだった。その中から優等生を育て、国家社会の中枢に送りこんだ著名な人物がいる。

 

アルフレッド・ミルナー卿だ。ミルナー卿は、1890年から二年間エジプト駐在財務官を勤めるなど、政府の対外活動分野で要職を歴任した。1892年から97年まで英国政府内国歳入局長を務め、アフリカのボーア戦争(1899~1902)終結前まで南アフリカの高等弁務官を務めた。大英帝国が植民地支配を遂行するために最も重要だとしてミルナー卿が、守ったものはアフリカ算出のダイヤモンドであり、金だった。地下資源の権益死守は大英帝国の植民地経済体制の維持には不可欠。将来にわたってこの権益を守るためにも有望な若手秘密情報員を育てあげる意義があったのだ。

 

ミルナー卿の意思を忠実に汲んだ青年たちは後に著名な作家としても育ち、バッキンガム宮殿にフリーパスで出入する情報局長官などの政府高官や、英国議会から機密資料をその職権で堂々と持ち出せる国会議員としても育った。

 

ところがミルナー卿の秘蔵っ子らが創設指導した軍事情報部(MI5、MI6)は、不思議なことに、死守すべき国家機密をソ連に次々を盗まれてしまう。マルクス・レーニン主義の熱烈な信望者たちが多数を占める英国議院内はソ連スパイの巣窟となり、英ソ親善協会なる社交の場も実際は貿易取引の場と化して、情報料としてポンドとルーブルがテーブルの下で交わされたのだ。スターリン支配下のスパイ、キム・フィルビーはケンブリッジ大学の仲間らととともに英国軍事情報部から特別な待遇を受けた。それでも満足しないフィルビーは、英国軍事情報部内に対ソ謀略セクションまで創設した。

 

つまり、大英帝国の屋台骨は隠れソ連共産主義者らに乗っ取られた。ミルナー卿の「生徒」らが守るべき大英帝国の国益はどうなったのか。何と不可解なことに、大英帝国はソ連の意のままに動かされた。なぜそうなったのか。

 

その謎を解くヒントがある。それはたとえばフィルビーがスペイン内線を取材した際の身分はロンドンの新聞『ザ・タイムズ』紙特派員つまりニセ記者だった。このように新聞社の特派員として外国政府の動向や国際事件の現場に飛び歩いたニセ記者は今も数多い。フィルビーを含め『ザ・タイムズ』紙にせっせと記者を送り込んでいたのがミルナー卿だった。つまり、大絵帝国も共産主義国家も同じ支配者らに運営させられている。この真実と詳細は本書の先を読んでいくうちに見えてくるはずだ。

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