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1916年 アラビアのロレンス ―アラブの蜂起―

シャンティ・フーラさんの情報です。


ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特別編1 ― アラビアのロレンス ―アラブの蜂起―

 直接的にはユダヤ問題のポイントとしてはヒットしているとはいえないにしても、イスラエル建国にはそのための前提となった中東における数々のポイントとなる出来事があります。それらの事実を外してはなぜ中東が「世界の火薬庫」と呼ばれるような紛争と大混乱の現実に至ったか理解できないと思えます。
特に第1次世界大戦の非常に入り込んだ出来事が中東の構造を生みだし、それが現在に通じています。
そこで第1次世界大戦時オスマン帝国相手にアラブ反乱部隊を率いて大活躍した通称「アラビアのロレンス」を追いながらポイントを押さえていきたいと思います。
出来事自体は非常に複雑な上、面白いことではないので、ぴょんぴょん先生に倣い、肩の力を抜いて弥次喜多道中の会話方式で記述を進めていきます。
(seiryuu)
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 特別編1 ― アラビアのロレンス ―アラブの蜂起―

pixabay [CC0] 1 & 2

アラビアのロレンスの葛藤から見る中東問題

やあ、久しぶり。元気だったかい? 今回もお前さんと同伴の旅路になったね。よろしく頼むよ。
へい、「旅は道連れ、世は情け」っていいますからね。こちらこそよろしく頼みます。ところでご隠居、騒々しい世の中は相変わらずですが、近頃は例のトランプの野郎のエルサレム首都発言で中東が蜂の巣をつついたみたいになってやすが、これのもとの原因はどのあたりにあるんですかい?
お前さん、「アラビアのロレンス」って知っているかい?
へい、随分と古い映画で、砂漠を横断しての戦闘シーンが印象に残ってやすが、中身は忘れていやす。何か関係があるんですかい? 映画なんか作り話では?
ふむ、確かに創作部分はあるが、この映画、基本的には史実に基づいて作られている。主人公のロレンスの葛藤を理解できれば、中東のいりくんだ複雑で深刻な問題も見えてくるよ。
へー、主人公のモデルはトーマス・E・ロレンス(1888年~1935年)、英国の情報局の将校でしたね。確かに複雑な物語で単なるハッピーエンドなんて映画ではなかったような・・・。
そう、状況も入り組んで複雑。主人公のモデルのE・ロレンスも複雑なものを抱えた男だった。そもそもサライエヴォ事件を契機に1914年から始まった戦争が、なぜあんな世界戦争にまで発展したか? どうも分からないような戦争で、気がつけば世界中の国々が巻き込まれていたという感じだった。
同盟国と協商国に分かれての戦争でやしたね。確か同盟国側がドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国協商国側大英帝国、フランス、帝政ロシアでやしたね。
英国はスエズ運河の利権を握っており、[それを脅かすオスマン帝国に対峙するにあたり、外務省カイロ情報局の下にアラブ局を新設し計略と指揮に当たることにした。そこに集まっていた中東の専門家の中に考古学者だったE・ロレンスがいた。他にはハリー・シンジョン・フィルビー、マーク・サイクスなど。彼らの計略はアラブ人を蜂起させ、オスマン帝国をその内部から揺るがせようというものだった。
その中東の専門家の中で、アラブ人の反乱軍を指揮したのがE・ロレンスというわけでやすね。

その通り、彼がその難しい役を担当した。アラブ人の蜂起、その実情は厳しいものだった。アラブ人と一口に言っても多くの部族に分かれる。反乱の軍と称してもバラバラでまとまりがなかった。これでは戦闘には勝てない。それをロレンスがまとめ大成功に導いた。

1917年末に英国アレンビー将軍によってエルサレムが占領された。しかし、それに先立つロレンスとアラブ反乱軍の活躍無しにはそれは達成できなかった。お前さんが映画で印象に残っている「砂漠を横断しての戦闘シーン」それはオスマン軍の要衝アカバ港攻略だよ。

7月にこれが落とされたので英軍は北方に進撃できた。また戦争の要である兵站の最重要ラインのヒジャス鉄道に大損害を与えている。アカバ攻略と兵站ヒジャス鉄道の戦闘、これはロレンスとアラブ反乱軍のみで行った。そして彼らは最終的にシリアの首都ダマスカスに入城する。

祖国英国を勝利へと導いたロレンスは大ヒーローでやすね。鼻高々でしょう?
いや、逆だよ。ロレンスは大ヒーローに祭り上げられるの拒んだ。そして自身に対し深く恥じ入っていた・・・。事実としてロレンスは英王室からのナイト爵の叙勲を拒み、名も栄誉も捨て2等兵として英空軍に入隊している。彼は自責の念から生涯逃れる事ができなかったようだ。良心があったんだね。
なぜ、ロレンスは生涯にわたりそんな重い葛藤を抱え込んでたんですかい?
それは、彼自身の心境の変化によるものもあるな、当初ロレンスは、諜報局員として冷徹に祖国英国の利益を追求しており、アラブ人の蜂起はそのための利用の対象だった。しかし、アラブ人たちと寝食を共にし命がけの戦闘を続ける中、本当にアラブ人たちの独立を目差す心境に変化していたようだ。しかし、結果として「独立国家樹立」を目差し行動してきた自身とアラブ人たちを裏切ってしまった。
アラブの独立と裏切り・・・?
そう。英国は非常に卑劣なやり方でアラブ人を裏切った。それがロレンスの苦悩となった。

 

(続きはこちらから)

フサイン=マクマホン協定 〜イギリスの三枚舌外交 その1〜

ご隠居、あっしら日本人にとって中東は遠く、アラブ人の独立と言っても、ぴんとは来やしません。

そうだろうね。先ずはオスマン帝国からだね。オスマン帝国とは、欧州ギリシアから北アフリカや中東を領地に含むイスラム教の大帝国だった。皇帝は代々スルタンと呼ばれる。トルコ人が中心となる国家だが広大なオスマンだ、その中に多民族が住んでいる。アラブ人、エジプト人、ギリシア人、スラヴ人、ユダヤ人などなど。

そしてオスマンはそれらの民族に対してキリスト教やユダヤ教などそれぞれの宗教の信仰、そして各民族の一定の自治を認めていた。

あっしらは顔を見てもトルコ人だ、アラブ人だとの中東に人の区別がつかないんですが?
そうか・・・、基本的に言語で分かれると見ればいいよ。トルコ人はトルコ語、アラブ人はアラビア語、またイランはオスマン領外で彼らはペルシャ語を使う。イランはペルシャ人といってもいいんだろうね。
なるほど。それにしてもオスマンは随分と多民族に対して政治的宗教的にも寛容だったわけですね。
そうだね。これはイスラムの特徴ともいえる。イスラムは連携を求めるからね。オスマンも広大な領土と多民族を統治するため、中央集権的な統治制度を作り上げたが「柔らかい専制」と呼ばれた。しかし、ある時期からオスマン帝国は大きく変質した。その中、第1次世界大戦に参戦することになる。
何があったんですかい?
革命さ。1908年スルタンはその革命で皇帝の座を追われた。それから先はオスマン帝国を牛耳ったのは革命を起こした勢力さ。特に軍部。イスラム教国としての国家が大きく変質することになった。
てぇことは、オスマン帝国はスルタンもいないし、イスラム教国家でもなくなったんですかい?
そうだ。スルタンはすげ替えられたがお飾りだ。連携を求めるイスラム法ではなく、トルコ民族主義が台頭する。排他主義だね。民族政策は変化し、トルコ人以外の国民に対する待遇を悪化し弾圧していった。これで知識層中心に他民族の人心はオスマンから離れアラブ人の中にも民族主義が高まっていった。
てぇことは。結局、その革命勢力が第1次世界大戦にオスマンを参戦させた。そしておまけにアラブ人の反感を買い、蜂起され、オスマン帝国を滅亡させてしまったわけですね。
その通りだ。外敵より身内の裏切りが怖いのはいつの世でもそうだ。
臭い。何か匂うぞ。その革命起こした連中、どんな奴等で? バックに変な者ついていませんでしたか?
ほう、お前さん。いつからそんなに鋭くなった? 確かにこの革命も臭い。しかし、ここでお前さんとその話を推理するのは荷が重い。これは本編にまかすこととして話しを進めよう。
へい、あっしは鼻はきくんでさ。ただし思いつきだけですがね。で、アラブ人が愛想つかしたと。
そうだ。英国情報局はそこに目を付けた。利用してやろうとね。そこで白羽の矢を立てたのがメッカの太守フサイン・イブン・アリーだ。預言者ムハンマドを輩出した名門ハーシム家の当主だ。
そのメッカの太守フサイン何とかに、英国の連中どうやったんで?
エジプトおよびスーダンの英国高等弁務官のヘンリー・マクマホンは、フサイン・イブン・アリーと1915年7月14日から16年3月30日の期間、10通の書簡を交わした。内容は戦争協力を条件にオスマン帝国領内のアラブ人の独立国家建設支持を約束したものフサイン=マクマホン協定という。
そうか、この協定の約束でアラブ人たちが蜂起して、その中にロレンスが身を投じたわけですね。

サイクス・ピコ協定 〜イギリスの三枚舌外交 その2〜

その通り。協定に基づき、メッカの太守フサインは1916年6月8日英国、フランスと同盟を結び、アラブ反乱軍の蜂起が開始された。ロレンスはフサインの3男ファイサルに魅了され、彼の軍事顧問となる。
アラブ反乱軍とロレンスたちが決死の戦いの連続で血を流した。そして確かアカバを攻略したのが1917年7月でやしたね。そのロレンスがなぜ深い葛藤を抱えることになったんで?
フサインによってアラブ人が蜂起した時点で既に英国は彼らを裏切っていた。ロレンスも知っていた。
えっ!?どういうことで??
1916年5月時点で既に英国、フランス、ロシアで広大なオスマン帝国領土を分割する秘密協定サイクス・ピコ協定が結ばれていた。基本的にこの分割案が現在の中東国境地図そのままとなっている。

サイクス・ピコ協定
濃い赤はイギリス直接統治、濃い青はフランス直接統治、
薄い赤はイギリスの、薄い青はフランスの勢力圏。
紫(パレスチナ)は共同統治領

えっ!?サ、サイク、ピ、ピコ太郎?? アラブの独立は? 約束したばかりじゃねえですかい?
英国外務省・中東担当官マーク・サイクス例のロレンスと共に外務省カイロ情報局の下アラブ局に集まっていた男だ。それとフランス前駐ベイルート領事ジョルジュ=ピコのとの協定がサイクス・ピコ協定。最終的にはロシア外相サゾノフが加わっている。英国は約束を翻しアラブを騙した。
英国の連中ひでえ奴等だ! このサイクス・ピコ協定、血を流した住民であるアラブ人の意向がまるっきり無視だ! それにしてもオスマンの敗北と領土分割は、はなから既定路線だったわけで?
連中にはそうだろうね。オスマン領土には石油が眠っている。そのお宝を奪うためだ。第1次世界大戦は石油争奪戦の面が濃い。本来の所有者アラブ人は完全無視、自分たちだけの勝手な利益を追求し、国境を勝手に線引きしている。そしてこれには猛毒も仕込まれていた。勝手な国境線分割によるクルド人問題だ。クルド人は国境線でいくつにも分断された。これが深刻な紛争の火種になっている。
それって、もしかするとわざと?ですかい? アラブ人同士も常に揉めるように?
間違いなくそうだ。ちなみに広瀬隆氏『赤い盾』によると、サイクスもピコもロスチャイルド家の工作員だ。この戦争欧州の強国と米国の利権、それにロスチャイルドたち『偽ユダヤ』の思惑がからむ。
ロスチャイルド? 全く入り組んで複雑だ。それにしてもアラブ人と接するロレンスが葛藤するわけだ。
ロレンスはアラブに肩入れするようになっていたからね。サイクス・ピコ協定のことを知っていたロレンスは、早い段階でファイサルたちに打ち明け、その上でダマスカスへの進軍を進言したようだ。
アラブ人たちは激怒だろうけど、ロレンスは信頼を得ていたわけだ。でもなぜダマスカスへの進軍を?
戦場での不文律。戦地では血路を開き、戦闘地を占領した者が権利を有する。ファイサルたちがアラブの独立を勝ち得るためには、反乱をシリアにも拡大し、大きな発言権を手にすることが必要と見たわけだ。
そしてロレンスとアラブ反乱軍は英国正規軍より先にダマスカス入城を果たしたわけですね。
そうだ。しかし現実は更にロレンスたちを驚愕させ、苦悩させる事態が待ち構えていた。
そりゃー、いったい・・・??

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