1763年 新世界秩序の誕生: ロスチャイルド銀行王朝の成立

今日から少しずつ真実かどうかを見極めるべき記事や資料を集めたり翻訳して、このサイトに載せていこうと思います。


「PLANET ROTHSCHILD」を翻訳して掲載しました。


1763 BIRTH OF THE NEW WORLD ORDER: THE ROTHSCHILD BANKING DYNASTY IS ESTABLISHED

1763 新世界秩序の誕生: ロスチャイルド銀行王朝の成立

In 1743 a goldsmith named Amschel Moses Bauer opens a coin shop in Frankfurt, Germany. Above his door he hangs a sign depicting a Roman eagle on a red shield. The shop became known as the Red Shield (German: Rothschild).

1743年、アムシェル・モーゼ・バウアーという金細工師が、ドイツのフランクフルトでコイン屋を開店した。ドアの上には、赤い盾にRoman Eagleが描かれた看板が掲げられ、その店は次第にRed Shield(ドイツ語:Rothschild)と呼ばれるようになった。

Amschel Bauer had a very intelligent son, Meyer Amschel Bauer. His father spent much of his time teaching him everything he could about the money lending business and in the dynamics of finance.

アムシェル・バウアーにはマイヤー・アムシェル・バウアーというとても頭の切れる息子がいた。父親は、金貸し業や財務の仕組みについて多くの時間を費やし、できる限りのことを息子に教えた。

After his father’s death in 1755, Mayer went to work in Hannover as in a bank, owned by the Oppenheimer Family.

1755年に父親が亡くなった後、マイヤーはハノーバーにあるオッペンハイマー家が経営する銀行で働いた。

Meyer’s immense ability was quickly recognized and he quickly advanced within the firm. He was awarded a junior partnership.

マイヤーの多彩な才能はすぐに評価され、社内で彼はすぐさま昇進していき、ジュニアパートナーシップをも獲得した。

His success allowed him to return to Frankfurt and to purchase the business his father had established in 1743.

こうして会社で成功を収めた後はフランクフルトに戻り、父親が1743年に設立し​​たその事業を引き継いだ。

The Red Shield was still displayed over the door. Recognizing the significance of the Red Shield (his father had adopted it as his emblem from the Red Flag which was the emblem of the revolutionary minded Jews in Eastern Europe), Mayer Amschel Bauer changed the family name to Rothschild.

まだ赤い盾はドアの上に飾られていた。赤い盾の重要性(彼の父は、東ヨーロッパで革命を目指すユダヤ人達を象徴したレッド・フラッグをモチーフにした)を認識し、マイヤー・アムシェル・バウアーはロスチャイルドに名字を改名した。

It was at this point that the House of Rothschild came into being.

こうして、ロスチャイルド家というものが生まれたのだった。

Through his experience with the Oppenheimers, Rothschild learns that loaning money to governments is much more profitable than loaning to individuals.

オッペンハイマーとのやりとりを通じて、ロスチャイルドは、政府への貸付金のほうが、個人に貸す金よりもはるかに利益を出せることを知った。

The loans are not only much bigger, but they are secured by the nation’s taxes.

政府への貸付金の方が、その金額が大きいということだけではなく、それらの貸付金は国の税金によって確実に支払われるのだ。

The Rothschild Banking Dynasty becomes the richest family business in world history.

こうしてロスチャイルド銀行王朝は、世界史上最も豊かな同属経営になる。

(1) Forbes Magazine refers to Mayer Amschel Rothschild as “a founding father of international finance”.

(2) Rothschild’s five sons will later branch out to head banking dynasties in Austria, Italy, France, and England, becoming lenders to the Kings of Europe, often financing both sides of the European wars that will so enrich them.

(1)Forbes Magazineはマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドのことを「国際金融創設の父」と呼んでいる。

(2)ロスチャイルドの5人の息子は後に、オーストリア、イタリア、フランス、イギリスの銀行王朝の支店を築き、ヨーロッパ各国の国王たちへの金貸しとなり、ヨーロッパの戦争において、しばしば両者へ融資を行なうことで資産を増やしていった。

To this very day, the House of Rothschild and its allies remain the dominant force behind world finance, Globalism, “environmentalism”, and ‘liberalism’.

ロスチャイルド家とその仲間達は、今日までずっと世界金融、グローバリズム、「環境主義」、「自由主義」の背後で支配力を持っていた。

The Jewish-Zionist Rothschild Family will also play a major role in establishing Israel in the 1900’s (Zionism). There can be doubt; Mayer Amschel Rothschild is the original “Godfather” of the New World Order.

ユダヤ・シオニストであるロスチャイルド家もまた1900年代にイスラエルを建国する上で大きな役割を果たした(シオニズム)。間違いなくマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドこそが、新世界秩序の最初の「ゴッドファーザー」なのである。

1 – 1934 Hollywood Film: The House of Rothschild / 1940 German Film: The Rothschilds
2- 2002: Warren Buffett, Governor Schwarzenegger marvel at one of Lord Jacob Rothschild’s palatial European estates.

1 – 1934ハリウッド映画:ロスチャイルドの家 & 1940ドイツ映画:ロスチャイルド
2 – 2002年2月:ウォーレン・バフェットとシュワルツェネッガー知事は、ジェイコブ・ロスチャイルド卿の宮殿のようなヨーロッパの邸宅に驚嘆する。


以上です。

戦争によって莫大な富を稼いだ者たちがいて、今日までもずっと変わらず居続けているのです。


第一回目は翻訳をしてみました。今後、まとめを作ったり他サイトの引用もしていきます。こういった真実を一般に広めるのが本サイトの目的でもありますので、引用されたサイト運営者の皆様も何卒ご容赦ください。

下記に補足を入れていきます。


ロスチャイルド家

ユダヤ系の金融資本。ドイツに始まり、イギリス、アメリカにも進出。イギリス帝国主義とも結びついた。

 ロスチャイルド(Rothschildの英語読み。フランス語ではロチルド、ドイツ語ではロートシルトと発音。家紋としていた「赤い楯」の意味で、もとは屋号だったものを姓とした。)家は、ユダヤ人の一族で、1760年代にフランクフルトで金融業を営んだ、初代マイヤー=アムシェルに始まり、その五人の子供が18世紀末から19世紀までに、フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリにそれぞれ分かれ、全ヨーロッパに金融ネットワークを張りめぐらせた。その顧客には各国の王室やナポレオンなどの権力者がおり、また株式投資を通じて巨大な富を築いた。ナポレオンが大陸封鎖令を出すと、大陸でコーヒーや砂糖、タバコが品薄になるのを見越して密輸し、莫大な利益を得た。19世紀にはメッテルニヒ、ハプスブルク家に融資する一方、鉄道事業にも進出した。

帝国主義時代の財閥

1875年にはイギリスの首相ディズレーリスエズ運河株買収に資金を提供、その帝国主義政策と結びつき、金融独占資本の典型的な例となった。なおエジプトといえば、ツタンカーメンの墓の発掘に成功したカーナヴォン卿に資金を提供したのもロスチャイルド財閥だった。

シオニズムを支援

19世紀末から始まったユダヤ人のパレスチナ帰還を目指す運動であるシオニズムは、ロスチャイルド家の財政的支援のもとで行われた。ちなみにロスチャイルド家は全体で19世紀中に4億ポンド(今の日本円にして2兆2400億円)以上の富を集めたという推計がある。20世紀には石油(ロイヤル=ダッチ=シェル)事業、ダイヤモンド事業などにも進出した。
バルフォア宣言 第一次世界大戦中の1917年、イギリスのバルフォア宣言はユダヤ人のパレスチナでの国家建設を認めたものであるが、それもイギリス政府がロスチャイルド財閥の支援を取り付けるためであった。第一次世界大戦後は、民族運動や社会主義の台頭によって、国家独占資本主義的な大財閥のあり方は否定され、ロスチャイルド家も苦難の時期を迎えたが、現在は銀行経営やワイン製造などに集中してなおも世界経済に大きな影響力を持っている。<横山三四郎『ロスチャイルド家』1995 講談社現代新書>

Episode 情報戦を制し、大ばくちに成功したロスチャイルド

エルバ島を脱出したナポレオン率いるフランス軍とウェリントン率いるイギリス軍のワーテルローでの決戦で、ウェリントン軍の勝利がはっきりした1815年6月19日の夜遅く、戦場の近くのオステンドからロスチャイルド家の使者が船に飛び乗ってドーバー海峡を越え、翌日未明、出迎えたロンドン支店のネイサン=ロスチャイルドに伝えた。ネイサンはただちにロンドンの金融街シティにある証券取引所に向かった。彼はウェリントン将軍の飛脚がロンドンに到着する前に、大ばくちを打った。イギリス国債を売りに出たのだ。当時はウェリントン軍不利の予想がされていたので、ネイサンが売りに出したのを見て人々はイギリス軍が敗北したと受け止めてパニックに陥り相場は急暴落した。ワーテルローの勝利の報せが届く直前に、ネイサンは二束三文になった国債の買いに転じ、一瞬のうちに巨利を得たのだった。電報も電話もなかった時代、伝書鳩でこの情報を知ったという説もあるが、ロスチャイルド家がドーバー海峡においていた自家用高速船を利用したのが真相らしい。ロスチャイルド家の群を抜いた情報網が、その大ばくちの勝利をもたらしたのだった。<横山三四郎『ロスチャイルド家』1995 講談社現代新書 p.68~>


ロスチャイルドの紋章

こちらはロスチャイルドの紋章ですが

こちらはロスチャイルドの紋章です。

 

マイヤー・アムシェル・ロートシルト

マイヤー・アムシェル・ロートシルト 1744 ~ 1812 【人物】

マイヤー・アムシェル・ロートシルト

Mayer Amschel Rothschild 1744年2月23日 – 1812年9月19日

ドイツの銀行家。ユダヤ系。ロスチャイルド財閥の祖として一族の基盤を築いた。

神聖ローマ帝国帝国自由都市フランクフルトのゲットー(ダヤ人隔離居住区)に銀行家モーゼス・アムシェル・バウアーの息子として生まれた。生まれた時の姓名はマイヤー・アムシェル・バウアーだが、元の家名であるロートシルト(「赤い楯」の意)に改姓。赤い楯は一族の家紋であり、また父モーゼスが開いた銀行の紋章でもある。名前の「マイヤー」は典型的なドイツ人名であり、一方ミドルネームの「アムシェル」は典型的なユダヤ人名である。マイヤー・アムシェルが11歳の1755年10月6日に父を亡くし、さらに1756年7月29日には母を亡くす。その後はもっぱら兄モーゼスに育てられた。

 ロスチャイルド家の紋章

 

両親との死別後、ハノーファーのオッペンハイム商会に見習い修業に出る。オッペンハイム商会には王侯貴族の宮廷に出入りする御用商人がおり、彼らは王侯たちに資金を調達を行っていた。マイヤー・アムシェルは父の教えにより古銭の知識が深く、古銭収集で知られていたエストルフ将軍と取引・親交を深めることによりその商才を磨くこととなった。

20歳で独立したマイヤーは、フランクフルト・ゲットー内で古銭やメダルの事業を始めた。当時古銭は一般生活には殆ど利用価値がなかったが、諸侯、貴族、金持ちにはこうした物のコレクターは多かった。彼らにカタログを送り、郵便局を通じて注文を受けて配送する通信販売を行ったのである。すぐに頭角を現したマイヤーは、1年後に熱心な収集マニアであったヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世に古銭を売る機会を得て、これを機に、1769年 「ヘッセン・ハーナウ候国宮廷御用商人」 に任ぜられた。ヴィルヘルム9世はアメリカ独立戦争の中でイギリスに傭兵を貸し付ける兵士輸出業で大いに儲けていた人物で、この資金運用でマイヤーも莫大な財産を得た。1770年には同じフランクフルト・ゲットーに住むユダヤ人豪商ザロモン・シュナッパーの娘グトレと結婚した。彼女との間に十人の子供を儲けた。

30歳の時にゲットー内で一番大きな建物に引っ越した。この建物は緑の看板を掲げたため、「グリューネシルト(緑の盾)」と呼ばれた。フランクフルトが ナポレオン・ボナパルト 率いるフランス軍の占領を受けた時期にはヴィルヘルムの金庫番であったカール・フリートリヒ・ブデルスの支援を得て遺産の財産管理や事業権を独占することとなった。その後、イギリスに居た息子のネイサンの仲介によるイギリスにおける投資事業やフランクフルト大公に任ぜられたカール・ダールベルク公に対する貸付けなどその地位を不動のものとした。

フランクフルト・ユダヤ人の市民権獲得を求めて、ダールベルク公との交渉に奔走し、資金力をバックにユダヤ人の市民権獲得を実現した(ただしナポレオン敗退後にユダヤ人事は再び市民権を剥奪されている)。

1810年「ロスチャイルド父子商会」を設立し、5人の息子たちに実権を譲ったが、「単独で投資をすること」、「利益を持ち分に応じで分配すること」を誓約させた。

フランクフルト・アム・マインで没し、同地のバトンシュトラーセ墓地に葬られた。

遺言状には「企業内のポストを一族が独占すること」、「事業は男子相続人に限ること」。「長男が跡を引き継ぐこと」。「婚姻は一族で行うこと」。「事業の秘密厳守」のほか、時には家庭より商売を優先すべきであると記述されていた。

子孫 [編集]

1770年8月29日、父がザクセン・マイニンゲン大公の宮廷御用商人をしていたグートレ・シュナッパー(1753年 – 1849年)と結婚し、5男5女をもうけた。

ションゲ・ジャネット・ロートシルト (1771年8月20日 – 1859年)
アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト (1773年6月12日 – 1855年12月6日)
ザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト (1774年9月9日 – 1855年7月28日) – ウィーンに移住し、オーストリアのロスチャイルド財閥の祖となる
ネイサン・メイアー・ロスチャイルド (1777年9月16日 – 1836年7月18日)- ロンドンに移住し、イギリスのロスチャイルド財閥の祖となる
イザベラ・ロートシルト (1781年7月2日 – 1861年)
バベット・ロートシルト (1784年8月29日 – 1869年3月16日)
カール・マイアー・フォン・ロートシルト (1788年4月24日 – 1855年3月10日) – 通称カルマン。ナポリに移住し、イタリアのロスチャイルド財閥の祖となる
ユーリエ・ロートシルト (1790年5月1日 – 1815年6月19日)
ヘンリエッテ・ロートシルト (1791年 – 1866年)- 通称イェッテ。アブラハム・モンテフィオーレ(1788年 – 1824年)と結婚。

ジャコブ・マイエール・ド・ロチルド (1792年5月15日 – 1868年11月15日)- 通称ジェイムズ。パリに移住し、フランスのロスチャイルド財閥の祖となる。

(wikipedia)

 

カール・マイアー・フォン・ロートシルト(Carl Mayer von Rothschild、1788年4月24日 – 1855年3月10日は、両シチリア王国を拠点としたドイツ系ユダヤ人の銀行家で、ロスチャイルド家の一員。ロスチャイルド家のナポリにおける事業を立ち上げた。


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マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド財閥の祖)
1764年ドイツ・ロスチャイルド商会創設

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アムシェル・マイヤー・ロスチャイルド (長男)
父マイヤー・アムシェルが1812年に死去とともに、ドイツ・ロスチャイルド商会を引き継ぐ

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ネイサン・ロスチャイルド (三男)
1804年イギリス・ロスチャイルド商会創設

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ジェームス・ロスチャイルド  (五男)
1817年フランス・ロスチャイルド商会創設

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サロモン・ロスチャイルド  (次男)
1820年オーストリア・ロスチャイルド商会創設

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カール・ロスチャイルド  (四男)
1821年イタリア・ロスチャイルド商会創設

アーヘン会議から2年後の1820年、次男のサロモンがウィーン移住したのは、オーストリアのハプスブルグ家での仕事が増えた為であります。

翌21年には、四男カールがナポリに移り住み、フランクフルト本家を守る長男アムシェル、ロンドンで大成功を収めた三男ネイサン、パリの社交界で羽振りをきかせる五男ジェームズと、5本の矢がヨーロッパ全土に放たれ、巨万の富をもたらすロスチャイルド家のネットワークは完成しました。

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