●前回、真の「ユダヤ人」とは、血縁的に『旧約聖書』に登場するアブラハム・イサク・ヤコブの子孫である人々のみを指し示しているということを紹介したが、「ユダヤ人」「イスラエル民族」とをゴチャ混ぜにすることはできない。

「イスラエル民族」を「ユダヤ人」としてひとくくりに総称することはできない。

なぜならば、「イスラエル民族」とは正確には「12支族で構成された連合集団」を指しており、そのうちの1支族である「ユダ族」を中心とした末裔が後に「ユダヤ人」と呼ばれるようになったためである。

「ユダヤ人」という言葉は、紀元1世紀の歴史家フラビウス・ヨセフスによる造語だと言われている。


●それで不思議なことに、ユダ族が「ユダヤ人」として活躍したのとは対照的に、ユダ族以外の選民、つまりエフライム族やガド族をはじめとする有力なイスラエル兄弟たちは、歴史上から姿を消してしまった。

現在では、彼らは「失われてしまった」とされている。一体どういうことなのか???

ユダヤ人以外の「失われた選民」とは? イスラエル12支族はどのような集団だったのか? どうして彼らの大部分は姿を消してしまったのか?

少し長くなるが、古代ヘブライの歴史を駆け足で紹介したいと思う。

 

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●紀元前2000年、古代バビロニア王国が隆盛を誇っていた時代、メソポタミア地方に一つの家族が住んでいた。

家族の長の名はアブラムで、彼は広大なメソポタミアの平原を羊とともに移動しながら暮らしていた。そのため地元のメソポタミアの人々は、彼らのことを「移動する人々」という意味で「ハビル人」と呼んだ。

後に、彼らはユーフラテス川地域からパレスチナ地方、エジプトへ移動したため、「川の対岸からやって来た」という意味でハビル人→ヘブル人→ヘブライ人と呼ばれる。


●アブラムは後に神からの勅命を受け、アブラムをアブラハムに改名。

彼はイシュマエルとイサクという2人の息子をもうけ、イシュマエルは「アラブ民族の父」となる。一方、イサクはエサウとヤコブという双子の息子をもうけ、弟のヤコブは神の勅命によって名前を「イスラエル」と変えたが、彼こそが『旧約聖書』に登場する「イスラエル民族の父」となる。


●このヤコブ(イスラエル)は4人の妻に12人の息子を生ませ、生まれた順にルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンと名付けた。父ヤコブの死後、それぞれ皆一族の長となり、ルベン族、シメオン族……という支族が誕生した。

ただし、レビ族だけは祭祀を司る専門職であるため、通常、イスラエル12支族には数えない。レビ族だけを抜いて数える場合、11男ヨセフの二人の息子であるマナセとエフライムを独立させ、それぞれマナセ族、エフライム族とする。

 



↑イスラエル12支族の各シンボルマーク

 

●父ヤコブに最も可愛がられていた11男ヨセフは、一番下の弟ベニヤミンを除いた兄たちの嫉妬をかい、エジプトに売られてしまう。

ところが、当時世界中を襲った大飢饉から逃れるため、ヤコブと息子たちの一族が全ての財産と家畜を伴いエジプトに赴くと、そこで彼らを迎えたのは、ファラオに次ぐ地位であるエジプト首相に就いていた11男ヨセフだった。

ヨセフは兄弟たちを許し、イスラエル一族はエジプトの地で子孫を増やして大いに栄えた。だがヨセフの死後、ヒクソス人が駆逐されると、ヘブライの勢力を恐れたファラオが、彼らを奴隷の境遇に突き落としてしまった。


●そうした中、一人の男が立つ。名はモーセ

苦境の中にあったイスラエル人が待ち望むメシアにして、偉大なる大預言者であった。彼は紀元前1290年に全イスラエル民族を率いてエジプトを脱出。以後40年間にも及ぶ集団放浪生活を送ったが、この間に“神”はイスラエル民族に「十戒石板」・「マナの壷」・「アロンの杖」という三種の神器と、それを入れる「契約の聖櫃(アーク)」を授けた。これは“神”とイスラエル12支族との契約の証しで、古代ヘブライ教(原ユダヤ教)の成立を意味した。

 


映画 『十戒』(1956年制作)

 

●紀元前1250年、大預言者モーセの後を引き継いだヨシュアは、イスラエル12支族を率いてヨルダン川を横断し、約束の地カナン(パレスチナ地方)へと侵入した。イスラエル12支族は、神が約束した土地であるという大義のもとで先住民と戦い、瞬く間に征服し、支族ごとに12の領地に分割した。

ここにイスラエル王国の基礎が築かれたわけだが、当初は戦争の英雄がイスラエル12支族を統治していた(士師時代)。



●紀元前1000年頃、預言者サムエルはサウルという英雄を王にして、統一国家を作ろうとした。だが、サウルは傲慢さゆえに失脚。代わって羊飼いの青年ダビデが大王として選任される。

ダビデは混乱していた全イスラエル民族を完全に統一し、ここに歴史に名を残す「イスラエル統一王国」が誕生したのである。


●この「イスラエル統一王国」は、ダビデの息子ソロモンの時代に頂点を極めた。

イスラエル史上最大の栄華を誇ったソロモン王は、それまでの移動式の幕屋を堅固な固定式の幕屋にするため、贅沢な材料を大量に使用して巨大な神殿を建設した。

世に言う「ソロモン第一神殿」である。


●「イスラエル統一王国」が国家として隆盛を誇る反面、民は重税と強制労働に大きな不満を抱いていた。それがソロモン王の死後、噴出し、ソロモンの息子レハベアムが即位すると、エラフイム族のヤラベアムが反乱を開始した。

戦火は王国内に拡大し、内乱へと発展した。



●紀元前925年、ついに「イスラエル統一王国」は大分裂!

ヤラベアムを支持するルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族の10支族、そしてレビ族の一部が、サマリアを首都とする「北イスラエル王国(北朝)」の建国を宣言した。

一方、ソロモンの息子を正統と考えるユダ族、ベニヤミン族の2支族、そしてレビ族の一部は、エルサレムを首都とする「南ユダ王国(南朝)」の建国を宣言した。

 

 

●イスラエル統一王国の分裂は、単に政治的な面にとどまらず、宗教的な面においても分裂を引き起こしてしまった。

南ユダ王国は、以前と同じようにソロモン神殿で「絶対神ヤハウェ」を信仰していた。それに対して北イスラエル王国は、黄金の子牛像を作り、これを礼拝、偶像崇拝に陥ってしまった。これは「ヤロベアムの罪」と呼ばれている。


●北イスラエル王国の偶像崇拝は、日ごとに激化し、パレスチナ地方の異教の神々をも礼拝し始めた。そして、ついには本来の古代ユダヤ教とは全く異質な信仰と化してしまったのであった。これがまずかった、と『旧約聖書』では指摘されている。偶像崇拝がイスラエル10支族の霊的堕落の大きな原因となったのである。

“神”は北イスラエル王国にエリヤ、エリシャ、ホセアといった預言者を送り、民族の霊的回復を図ったが、この預言者たちの必死の呼びかけも空しく、もはや信仰的回復は不可能となっていた。



●紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国に襲いかかった。必死に防戦したが、北イスラエル王国はあっけなく滅亡してしまった。しかもイスラエル10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚(ニネベ捕囚)されてしまったのである。

アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した……」とある。


●北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした南ユダ王国のユダ族中心のイスラエル2支族たちは、改めて偶像崇拝はいけないことだと自戒し、「ダビデ王統」を守り続けていった。

が、しばらくすると、南ユダ王国も同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、新バビロニア王国によって滅亡してしまった。南朝のイスラエル2支族はバビロンへと捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失って、バビロンの地で涙することとなったのである。


●紀元前538年の新バビロニア王国の滅亡と、その後のペルシア帝国の寛容な宗教政策によって、南朝のイスラエル2支族はパレスチナ地方へ帰ることができた。彼らはソロモン神殿を再建し、徹底した契約厳守の律法主義に基づく「新ユダヤ教」を作り、現在のユダヤ人へと至る“目に見える歴史”をたどった。

 

 

●ところで、南朝のイスラエル2支族が故郷の地に帰還した時、既にアッシリア帝国は滅亡しており、そこへ捕囚されていたイスラエル10支族はパレスチナ地方へ帰ってきてしかるべきであった。しかし、彼らは帰って来なかったのである。

もちろん帰ってきた者もいたが、それはごくごく一部で、大部分が帰って来なかったのである。しかも捕囚されたアッシリア帝国の地にも、彼らの姿は無かった。

ユダ2支族よりも神から多くの祝福を受けていたはずのイスラエル10支族は、いつの間にか歴史の表舞台から消えてしまったのである!



●興味深いことに、冒頭でも紹介した、紀元1世紀の著名な歴史家フラビウス・ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、イスラエル10支族は膨大な数になっていて、ユーフラテス川の彼方に広がっていると記述していた。

また、聖書外典の「第二エズラ書」は、以下のように、イスラエル10支族は絶対神ヤハウェを信仰し、過去と同じ過ちを犯さないために、信仰の邪魔する者が存在しない土地を目指したと伝えている。

「これらは、ヨシア王の時代に捕らえられ、その領土から連れ出された支族である。アッシリア王シャルマネセルがこれを捕虜として連れて行き、河の向こうへ移した。こうして彼らは異国へ連れて行かれた。しかし彼らは異邦人の群れを離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い地方へ行こうと相談した。それは自分の国では守っていなかった律法をそこで守るためであった。こうして彼らはユーフラテス川の狭い径を通って入って行った。」



●現代の歴史学的通説では、イスラエル10支族は捕囚中に死滅したとか、現地の人間と同化したということにされているが、確たる証拠があるわけではない。世界のベストセラーである『旧約聖書』の主人公であり、神から一番愛されていた民族(選民)である彼らが、何の断りもなしに消滅することがあっていいのであろうか。

彼らの行方は今もって不明である。

そのためイスラエル10支族の行方は、世界史最大の謎の1つとされているのである。